「獺祭」。30年前まで「このお酒、何て読むの?」と言われていた日本酒を、いま、お酒好きで知らない人はいないでしょう。山口県岩国市の山深い地域にある酒蔵・旭酒造は、かつて、経営者自身が「負け組」と語るほどに苦しんでいました。そこから「日本酒といえば獺祭」と言われるほどに、日本全国で、そして世界中で愛されるようになっています。業界の慣習とは逆の方向に進み続けたその挑戦について、四代目蔵元の桜井一宏氏に伺います。
前編では、獺祭の「味」と「量」の追求について。獺祭といえば「杜氏がいない」「機械とデジタルの酒造り」で有名ですが、味の基準は自分たちの「舌」だと言います。妥協のない酒造りをしながら、お客様の声も生かしていく。質を落とさずに、多くの人に飲んでもらえるよう量産にもこだわる。その両立が、ブランドを進化させています。
後編では、旭酒造の海外展開について。2022年の日本酒全体の輸出額は約475億円(日本酒造組合中央会)で、そのうちの約70億円、実に15%を「獺祭」が占めています。自分たちの舌を基準に、お客様の声を自分の味覚に溶かし込んでいく。お客様がより喜んでくれるものを追求することで、味は少しずつ変わっていく。世界へ出ても変わらぬ酒造りが、さらなる成功を支えています。
桜井一宏(さくらい・かずひろ)
旭酒造株式会社代表取締役社長。1976年、山口県生まれ。2003年に早稲田大学社会科学部を卒業し、他社を経て2006年に旭酒造へ入社。製造部門での修業を経て2010年から海外販売を担当。アメリカで飲食店や酒屋に飛び込み営業をかけるなど地道な活動を行い、獺祭の世界的評価を確立。2016年に、現職に就任。
山口から東京へ、山口から世界へ
私たちが初めて海外に向けてビジネスを展開したのは、2000年代に入ってからです。まずはニューヨークと香港、台湾に売り込んでいきました。負け組からの脱却を図ろうと地元を出て勝負したときに、まずは東京で足がかりができた。そこからもう一歩進もうと考えると、「次は世界の大都市に行こう」というのが自然の流れでした。
私はニューヨークの営業担当でしたが、実は当初、海外進出に反対していました。海外の人に日本酒の味なんてわかんないだろうと思っていたんです。
以前、ニューヨークにある高級ホテルのバーで、日本酒のカクテルを頼んだことがあります。それがまた、ひどい味なんです。封を開けてから何年経ったのかもわからないような日本酒でマティーニみたいなカクテルをつくって、 オリーブの代わりにきゅうりが刺さっている。一流ホテルのバーでそれですから、海外で日本酒の美味しさを語ったところで無意味だろうと思うわけです。「こんなところで日本酒なんて売れないよ」と、ブツブツ言いながら営業していました。
しかし、実際にお客様を見ると、ちゃんと味がわかって飲んでいるのがわかりました。お酒に向き合い、香りを嗅いで、口に少し含んでからスッと飲む。日本人と同じように、お酒を楽しんでいるんですね。お酒というものは、どこまでいっても嗜好品です。人によって好き嫌いがあって、飲む人は味を気に入っているからこそ飲んでいる。そこで自分の考え方が切り替わっていきました。
とはいえ、すぐには売れません。当初は日本人のやっている飲食店や酒屋に売り込んでいったんですが、全然相手にされないんです。まず、山口県は酒どころとして認知されていない。なおかつ獺祭は純米大吟醸で、値段も安くない。アメリカで受けるような、目立つパッケージというわけでもない。毎日毎日売り込みに行って、なんとか「うちのマネージャーのご家族が山口県出身だから、3本だけ」と注文がもらえる程度。苦戦した時期は、結構長く続きました。
そこで、お店を相手にするのに見切りを付けて、酒屋で買ってくれる人、飲食店で飲んでくれる人にフォーカスしていきました。
お店にお酒を持っていって、小さな試飲販売を数限りなくやる。すると、味を気に入ったお客様がほかのお店に行ったときに話してくれるようになります。飲食店が獺祭を知らなくても、お客様が「ここは獺祭を置いてないんだ」と言えば、注文してくれる。そうやって、少しずつ伸びていきました。
日本酒を文化として世界中に浸透させる
現在、獺祭は多くの国で受け入れられてもらっていますが、その背景には日本食ブームがあります。日本酒が独立して好まれているというよりも、日本食のお供として認めてもらっている部分が大きい。そこからもう一歩進まないと、いま以上の未来がありません。ひと言で言えば、日本酒を文化として世界中に浸透させていく必要があります。
ワインが日本でもポピュラーなお酒になったのは、海外から輸入するだけではなく、日本各地にもワイナリーができたことが大きいでしょう。「自分たちの地域でつくられている」と感じてもらえることで、身近なものとして広く定着する。日本酒も同様に、現地で生産して、自分たちの土地のものとして愛してもらいたいと思います。
そうした考えから、2023年4月に、ニューヨークに酒蔵をつくりました。現地では、「獺祭ブルー」という商品をつくっています。まだまだ試行錯誤の部分も多いですが、現時点ではアルコール度数が14度前後と、日本の商品と比べて少し低いもので仮説を立てています。世界中に日本酒の文化をつくっていく上で、仮想敵はワインやシャンパンです。同じようなアルコール度数で勝負したいという考えからです。
ただ、獺祭ブルーには実験的な部分がありますが、日本からアメリカに向けて販売する獺祭の基本的な味は国内向けの商品と同じです。アメリカに限らず、国内と海外とで味を変えるということはしません。
もちろん、商品の魅力を理解してもらうため、国によって売るためのアプローチは変えています。ヨーロッパであれば、長期熟成や室温貯蔵を前提とした保存環境や流通、商習慣など、長い歴史を持つワインのインフラがあります。お客様にも「醸造酒だったらワイン」という意識が強い。
そこに対して、ワインと日本酒の違いを伝える必要があります。例えば、ワインは熟成させた味を楽しむものですが、日本酒の場合、特に獺祭は早く飲んでフレッシュな味を楽しむものです。それを説明して理解してもらう。
しかし、海外に向けて売ることを理由には味を変えません。さっき(前編を参照)も言ったように、獺祭の味は、自分たちの舌を基準に、お客様の反応を踏まえて変わり続けています。飲んだときの表情、言葉。「こういう味のときにお客様は喜んでくれる」といったことが積み重なって、じわりじわり変わっていく。
自分たちが美味しいと感じることが前提で、お客様の声を自分の感覚に溶け込ませていく。その姿勢は、日本でも海外でも同じです。アメリカ向けの商品の味が変わるとすれば、アメリカのお客様の声が私たちに溶け込むことで変わるんです。
だから、極端を言えば5年後、10年後には日本とアメリカで全然違う味になっているかもしれません。あるいは、食文化が融合して二つとも同じ方向に変化していく可能性も大いにあります。
それに、私たち自身がさまざまな経験をする中で変わってくる部分も大きいと思います。私たちも獺祭のヘビーユーザーです。ステーキを食べるときに獺祭を飲んだら美味しかったといったことになれば、やはり基準が変わっていく。お客様も私たちも変化する中で、獺祭の味も磨かれていくんだろうと思います。
商品をつくる「手間」を価値として伝える
日本のものづくり企業が世界に出ようと考えたとき、大きな価値となるのが、商品をつくる「手間」です。
産業革命以降、人の労働力を機械に置き換えて、安定的・効率的に製品がつくられるようになりました。職人が手間をかけてつくるという価値観は、特に欧米では失われているものでもあります。
ワインでいえば、重きが置かれているのは、テロワール(ブドウ畑を取り巻く自然環境要因)と言われるような地域性、それに、熟成にかける時間です。その点、日本酒では発酵の過程が重要視されます。それも麴と酵母を同時にコントロールするというように、複雑な技術が求められます。
それに、欧米では分業体制がしっかりしています。製造業であれば、経営者は経営に専念して現場の人がつくるといった構図が多いですが、日本では両者の距離が近い。経営者自身が手間の価値を感じて発信できることも、強みになると思います。
どんな人たちがどんな思いでつくり、どんな過程を経て自分の元へ届くのか。それを知っているのと知らないのとでは、同じお酒を飲んでも美味しさが変わるはずです。
もちろん、技術の発達は大いに歓迎すべきです。機械も使う、データも使う。その上で人の手もかけるという、現代版の職人の姿を伝えていかなければいけません。
酒蔵の姿として、うちには賛否両論があります。味や量にこだわる中で、外からどう見えるかはあまり気にせずにきました。機械も使うし、データも使う。まずこれが叩かれやすいんですね。「あそこはオートメーションで、手づくりの酒蔵とは違う」「あそこは希少価値がないから売りにくい」といった話は当然出てきます。
でもそれは業界目線の話であって、お客様が感じる美味しさとは無関係です。お客様自身が「機械を使うのは良くないから飲まない」というのであれば、それは個人の選択ですが、「機械を使うと美味しくなくなる」と思われてしまうのはもったいないですよね。
私たちが機械を使う理由をできる限り説明することで、お客様からお客様へと「あそこが機械やデータを使っているのには、こんなフィロソフィーがあるんだよ」と伝えてくれたら嬉しい。そうした「理解者」を増やしていきたいと思います。どんな価値観で、どんな手間をかけてつくられたからこの味があるのか、に賛同してくれる人です。
日本はこの数十年、良いものを安く売るという価値観に引っ張られています。時間も労力もかけてつくったのに、安く売らざるを得ない。多くの企業がそこで疲弊してしまっている部分もあります。自分たちの持つ強みに気付いて、世界中に発信してほしいと思います。
いまできる形での挑戦がブランドを鍛える
マーケットの中で苦しんでいるのに、品質も変えず、挑戦もしない。それで神風が吹いてくれることは、100%ないと思います。成長のためには、現状可能なやり方で、全国へ、世界へ出なければいけません。特に私たちのような伝統産業は、外へ出て、厳しい環境でふるいにかけられて、苦しい思いをしながら変わっていくしか生き残る道はないと思います。
日本酒業界の関係者に、「旭酒造さんはお金があるから海外へ行けるけど、うちは儲かっていないから」と言われることがあります。でも、そういう会社は大体、うちが世界展開を始めた頃に比べて、規模が大きいんです。
私たちは、お金がないから広告をバンバン打つことはできませんでした。語学が堪能な営業を雇うこともできませんでした。自分たちで山口から持ってきた酒をお客様に注ぐのであれば、それほど経費はかからない。だからやったんです。
海外に出始めた頃は、辞書を引きながら英語のメールを読んでいました。契約書の内容を理解するのに、3日かかったこともあります。それがいまなら高機能な翻訳サービスがあるし、AIを使えば英文での返事まで書いてもらえます。対面の会話でも、ある程度は翻訳ツールで解決できます。さらに、SNSで世界中に発信できるし、Amazonで売ることもできます。
山口から飛行機を乗り継ぎ、やっとニューヨークにたどり着いて、できない英語でなんとかやってきた。その過程で、ブランドが鍛えられたと思っています、東京でも海外でも、市場に飛び込んで競争する中で認知度が伸びていった。この過程には正解もないし、近道もない。やって、やって、積み上げていくしかない。まずは全国、次は世界。その時点で自分が持っている武器で戦うしかありません。
飽くなき追求を生む「好き」という価値観
獺祭が多くの人に知られるようになって、いろいろな会社から提案をもらうことがあります。特定の年代や性別の人たちに合わせて、こんな味にすると良いのではないか、あるいは獺祭の味を生かしてもっと客層を広げていこう、といった話です。
そうした提案にあまり魅力を感じないのは、自分たちの外から入ってきた基準は、それ以上の考えを生まないからです。「この味が良い」と正解を決めて、それを実現してしまえば、あとはどう効率的につくっていくかという話にしかなりません。
それが「自分の好きな味」と考えると、一度満足いくものができでも「ここまで行ったら、もう少し美味しくできるんじゃないか」と、さらに進むことができる。「好き」という基準が、自分をさらに先へ進めるのだと思います。
きっとそれは、自分たちの働く場所にも言える。ニューヨークに酒蔵をつくりましたが、そこで酒造りをするのは、ストレスも多く苦労も多い。山口の酒蔵だけにしておいたほうが楽なんですが、その分成長できます。
ニューヨークの酒蔵でも、日本から来た山田錦を使っています(今年から、一部アーカンソー州で栽培した山田錦を使用)。前述の通り製造過程でデータを取り、醸造機器など日本と同じ環境をつくっています。ただ、それで日本と同じ獺祭をつくれるというほど簡単な話ではありません。また、日本と同じ獺祭をつくる気もありません。
獺祭のライバルとして、私たちがアメリカの環境でつくることのできる最高の酒、私たちが好きになれる酒を追求していきます。それは結果的にいろいろな挑戦と苦労の連続になりますし、これも私たちを前に進めてくれると思っています。
世界に販売する、ニューヨークに酒蔵をつくるというと、「地元を捨てて他所に行った」というような捉え方をされる場合もあるのですが、これは地元を否定しているということではありません。山口県岩国市周東町獺越。人が少ない、寒い、雪が降ったら道が凍って危ない。いろいろあるけれど、やっぱりこの地域が好きなんです。
明確に理由は説明できないけれど、獺祭はこの地域だからこそ生まれたのだと思っています。味の基準は、自分自身の変化によるところも大きい。私や蔵人たちが、その親が、さらにその親が育ったのはこの地域で、だからこそ獺祭の味が生まれたんです。
そんな場所から外に出て、私たちは世界で認めてもらうことができました。私たちの意識としては、オリンピック選手になって世界に挑戦している様な感覚です。失敗しようが苦労しようが前を向いて戦っていきたい。地元に誇りを持っているからこそ、この地域を背負って、世界中に美味しいお酒を届けたい。そして味を認めてくれた人に、自信を持って「山口のど田舎から来たんだよ」と言いたいんです。