「獺祭」。30年前まで「このお酒、何て読むの?」と言われていた日本酒を、いま、お酒好きで知らない人はいないでしょう。山口県岩国市の山深い地域にある酒蔵・旭酒造は、かつて、経営者自身が「負け組」と語るほどに苦しんでいました。そこから「日本酒といえば獺祭」と言われるほどに、日本全国で、そして世界中で愛されるようになっています。業界の慣習とは逆の方向に進み続けたその挑戦について、四代目蔵元の桜井一宏氏に伺います。
前編では、獺祭の「味」と「量」の追求について。獺祭といえば「杜氏がいない」「機械とデジタルの酒造り」で有名ですが、味の基準は自分たちの「舌」だと言います。妥協のない酒造りをしながら、お客様の声も生かしていく。質を落とさずに、多くの人に飲んでもらえるよう量産にもこだわる。その両立が、ブランドを進化させています。
桜井一宏(さくらい・かずひろ)
旭酒造株式会社代表取締役社長。1976年、山口県生まれ。2003年に早稲田大学社会科学部を卒業し、他社を経て2006年に旭酒造へ入社。製造部門での修業を経て2010年から海外販売を担当。アメリカで飲食店や酒屋に飛び込み営業をかけるなど地道な活動を行い、獺祭の世界的評価を確立。2016年に、現職に就任。
成功の魔法は存在しない
私たちは、地元では生き残っていけず、外に活路を見いだすしかなかった。準備万端に全国へ、海外へと挑戦したわけじゃないんです。
私の父(現会長・桜井博志氏)が旭酒造を継いだとき、岩国には5つの酒蔵がありました。その中で私たちは4番手。5番手は廃業寸前だったから、完全な負け組です。それに、うちの酒蔵の周りには商圏と言えるほどの街がありません。地元で売り上げを上げるのが難しい。
そんな状態ですから、同じ場所で、同じように酒造りを続けていても、当然生き残っていけません。当時、日本酒業界全体が落ち込み始めていましたが、私たちはその勢いよりももっと速く沈み続けていました。ほかの酒蔵より、お尻に火が付くのが早かったんです。
いまとなっては幸いなことに、多くの人に「獺祭」を愛してもらっていますが、何か大きな転機があったわけではありません。いくつか有名なテレビ番組に取り上げられるといったこともありましたが、それもある程度軌道に乗ってからの話です。徐々に、徐々に販路を広げていった。成功の魔法は存在しないんです。
私たちが山口を出て勝負をしようと動き始めたのは、1990年頃のことです。隣近所の九州や中国地方はもちろん、四国、関西、東北にも売り込んでいきました。でも、どこに持って行ってもうまくいかない。どうにかこうにか、東京で何件かの飲食店や酒屋が興味を持ってくれて、足がかりができました。
これには、東京に地酒が少ないということが大きかったんだと思います。もちろん東京にも酒蔵はいくつかありますが、人口対比を考えると、「地元の酒」という意識は希薄です。逆に、東北や北陸といった地酒の文化が強い地域に別の酒を売り込むというのは難しいんですね。
それに、東京には全国から人が集まってきます。山口県出身の人や、山口から東京にビジネスで来ている人も少なからずいる。故郷を共にする人たちが、「山口のお酒があるんだったら」と飲んでくれました。
あとは、山口は酒どころとして認知されておらず、珍しがってもらえたこともあります。私たちが試飲会を開いて一番多く言われたのは「このお酒、何て読むの?」。二番目は「山口にもお酒ってあるんだ」です。実際に山口県の日本酒はほとんど東京に出回っておらず、「珍しいお酒を飲んでみよう」と思ってもらえたことも追い風になりました。
「味」と「量」の追求が全国的な人気を生んだ
私たちが山口を出て勝負をかけたように、東京には全国からお酒が集まってきます。酒蔵からすれば、全国トーナメント、世界トーナメントみたいなもんです。その中で、私たちは十分に営業できるような体力もありません。当時は私の母を含めても、社員は10名もいませんでしたから。
じゃあどうやって勝負をするかと考えると、品質を磨く、味にこだわる。それが私たちの選べる唯一の道でした。知名度はない、営業もできない、お金がないから広告も打てない。もう「味さえ良ければええんや!」と割り切ったんです。
従来、日本酒は味に対して細かく言うものではないという風潮がありました。高度経済成長期の時代、みんな忙しく働いて、1日の締めくくりに酒をぐっと飲む。そこで飲み心地や舌ざわりが云々と講釈を垂れるのは野暮だと。酒蔵にもそうした雰囲気がある中で、私たちが味に振り切ったことは大きかったと思います。
それからもう一つ。私たちが伸びていった大きな理由に、供給力があります。
日本酒に限らず、伝統産業には「たくさんつくると希少価値が失われる」「品質が落ちる」といった価値観があります。その意識が先に立って、量をつくることにストップをかける。せっかく良いお酒ができても、業界通の間だけで認知が止まり、ブランドが消費されてしまいます。
私たちは味を追求しながらも、なんとか量を増やしてきました。つくった酒が徐々に売れるようになり、それにしたがって、蔵を拡大して、従業員も増やす。さまざまな機械を導入し、データを活用して効率化を図る。もともとの設備でつくれる量だけを売っていたら、いまほどの認知度はなかったと思います。
業界の慣習とは別の方向に進めた理由
味を求める。量を求める。これも振り返ってみれば最初からわかっていたような言い方になってしまいますが、そうではありません。私たちが業界の慣習とは別の方向に進むことができたのには、杜氏がいなくなってしまったことが大きいんです。
酒蔵は仕込みの行われる冬が忙しく、夏はそうでもありません。まだまだ業績が低迷していた頃、負け組から脱却しようと、夏の時期にビールを製造したことがあります。結果は大失敗。それどころか、「傾いた酒蔵で仕事はできない」と、杜氏がいなくなってしまいました。部下の蔵人もつれて。
うちでは杜氏や蔵人を社員として雇っていましたが、一般的には、外部から招いて冬の間だけ来てもらう存在です。これは私の感覚ですが、コンサルタントや出張料理人のようなイメージ。そうした構図だと、やはり杜氏の持つノウハウはブラックボックス化します。
それに、杜氏は蔵人の最高峰。「周囲がどうこう言える存在ではない」といった、職人気質の世界でもあります。蔵元が味を変えよう、つくり方を変えようとしても、難しい部分があるんです。
もちろん、杜氏制度を否定するわけではありません。腕の良い杜氏はたくさんいますし、蔵元と杜氏がしっかり協力関係を築いて良い酒をつくっているところもあります。ただ、やっぱりストレートに蔵元の思いを杜氏へ伝えにくい雰囲気があります。
私たちの場合は、杜氏がいなくなったことで、自分たちで酒造りをせざるを得なくなりました。逆に言えば、「変えてはいけない」という思い込みがなかったんですね。それに、幸か不幸か、地元に商圏がないので、「変わらぬ味を昔からのお客様に届ける」という考えもありません。「やっぱり、美味しい酒をつくりたいよね」「お客様が求めてるんだったら、つくる量を増やそう」と、自分たちが考える「お客様のため」に、そのまま振り切ることができたんです。
どんな商品もサービスも、お客様に喜んでいただけるからこそ売れるんです。日本酒業界が落ち込んでいるということは、お客様に受け入れられていないということでしょう。洋食化や人口減少といった要素だけでは、言い訳がきかないスピードで落ちている。そのマーケットで、味と量を追い求めた私たちが客観的に見ても伸びている。業界が向かうべき方向性は、シンプルなのだと思います。
1人でも味にダメ出しをしたら落とす
私の思う獺祭の味は、透明感ときれいな甘みの両立です。「水のようにきれいな味」という言葉がありますが、それだけでは少し物足りない。雑味のないものをつくることで見えてくる、甘みや華やかさのようなもの。余分を削ぎ落として、きれいなところを見せていくのが獺祭です。何となく女性的なフォルム、アジア的な美というような感覚を持っています。
うちでは、遠心分離機による搾りやマイクロナノバブルによる酒の殺菌の様な最新技術、それに、温度や時間の管理、酒米の分析などには積極的にデジタルを活用しています。酒蔵としては珍しいやり方だからでしょう。メディアなどにこの部分を取り上げていただくことも多く、「獺祭はすべてオートメーションでつくられている」というイメージを持っている人もいます。
しかし、「味」の判断基準には、一切デジタルを活用していません。すべて、自分たちの舌です。自信をもって美味しいと言えるかどうか、獺祭のクオリティになっているかいないか。私や蔵長、製造部長など6~7人が、毎朝決まった時間に味を見ています。
最近はAIの活用が進み、香りや味の高機能なセンサーも開発されています。私も面白がって試してみるんですが、やっぱりそれだけでは同じ味は再現できません。出来上がったお酒の分析数値が同じでも、麹づくりや発酵のプロセスによって味は変わるんです。味を構成するファクターを私たちが分析しきれていない部分があるんでしょうが、無理にデジタルの基準に当てはめるのではなく、出来上がりを見て判断しています。
もちろん、私たちが利き酒のスペシャリストというわけではありません。それに、人間ですから、「昨夜は飲みすぎちゃった」とか「激辛料理を食べたから味がよくわかんない」といったときもあります。
だから、基準の下限を高く持ちます。1人でもダメ出しをしたら、基本的には落とす。実際にはその1人の体調によるものかもしれませんが、そうしておけば、お客様に質の悪いものを出すことはないわけです。
お客様の反応を自分の味覚に変える
味を追求するというと、特に古くから続く商売では「変わらぬ味」をつくるというイメージがあると思います。でも、私たちはそれを是と考えません。獺祭の味は、徐々に変化しています。
ただし、それはマーケットを見て「こうしたほうが良いんじゃない?」と変えていくものでもありません。どこかのリサーチ会社に頼んで、「30代女性が好きな味」とか「40代の独身男性が好む味」とか、そういった発想でつくり出せるものではない。
とはいえ、自分たちのつくるものをお客様に無理やり押し付けるのでもありません。自分の感覚にプラスして、お客様を見て判断する部分もあります。お酒の会を開いて意見を聞く、飲食店で飲んでいる人の表情を見る、酒屋さんで買っていく人の会話を聞く。私自身、常に意識していますし、メンバーからの報告もチェックします。そこから得た情報を、酒造りに生かしていきます。
一般的に、日本酒は大きなタンクを使って大量につくります。その方が効率的なんですが、うちでは小さなタンクをたくさん使って、1日に10回、年間3000回くらいのお酒を仕込んでいます。
そのぶん手間はかかるのですが、裏を返すとリカバリーをしやすいということでもあります。1度失敗しても、残りの2999回で取り戻すことができる。だから、ちょっとずつバリエーションを変えてつくることができます。
うちの製造部は3つのチームに分けられていて、それぞれ少しずつアプローチを変えてつくっています。例えば、獺祭はすべて山田錦という酒米を使っていますが、同じ山田錦でも、収穫される年や地域によって特徴が違います。それぞれに合わせて、「もうちょっと水を多く含ましてみよう」ということもありますし、「発酵中の温度をもっと高くしてみよう」ということもある。チーム同士のフィードバックも踏まえながら、より美味しいものを目指しています。
基本的にはその時点で基準としている「獺祭の味」を再現するためのアプローチを考えますが、「こうやったらもっと美味しくなるんじゃないか」「こういうやり方も試してみたい」といったように、実験的なつくり方をするときもあります。商品としては出さずに、「これは良いね」「これはちょっと違うね」とジャッジして、酒造りのノウハウに生かしていく。
デジタルの最も大きな役割は、そのサポートにあります。一般的に、機械やデータを活用する理由は、合理性であり再現性です。いかに効率的に同じものをつくれるか、コストを削減できるか。うちの場合、その部分もありますが、味を検証して次に生かすため、進化のために使っていこうという考え方です。
味を進化させるところは、あくまで自分たちの感覚。そのなかでアプローチを変えたときに「これは美味しいね」となったら、何を変えたのかをデータで検証する。自分の主観で「美味しい」と感じた理由を、データで把握していくんです。
数限りない屍の上にできた「獺祭」
1杯飲んだ人が、もう1杯おかわりをしてくれる。1本飲んだ人が、もう1本と言ってくれる。それが私たちの目指すところです。自分たちが納得できる味をつくって、お客様が笑顔になるか、もう1本飲むかを確認する。「美味しい!」のためにはどんな味であるべきかをお客様を見て感じ、自分の味覚に溶け込ませていく。そうして自分の思う「美味しさ」をアップデートし、また酒造りに生かしていく。その地道な繰り返しが、「獺祭」という一つのブランドを突き詰めるということだと思います。
私たちは「獺祭」しかつくりません。獺祭は山田錦だけを使った純米大吟醸です。“ひや”で飲むお酒で、熱燗はお勧めしません。
こうしたコンセプトも、最初から考えていたわけではありません。実際に、以前は複数の銘柄をつくっていて、売れた商品の生産量を増やし、売れなかったものは減らしていきました。
お客様にもう1杯、もう1本飲んでもらうのはすごく大変なことです。1本目はいける、でも、もう1本にはなかなか手が伸びない。そこを超えていかなければいけません。
「獺祭」ブランドに一本化してからも、いろいろとアプローチを変えながらつくって、この味が美味しいとだんだんわかってきた。徐々に徐々にそちらに向きを変えていった結果、山田錦だけ、純米大吟醸だけとなっていった。その道を振り返れば、数限りない屍があるわけです。
有名なウイスキーメーカーなど、ひとりのスペシャリストが味をジャッジするといったところもあります。絶対的な正解をつくり上げることの良さもありますが、うちの場合は、もうちょっとぐじぐじと、「こっちのほうが美味しくない?」「このほうがお客様が喜ぶんじゃない?」なんて言いながら、優柔不断に味を変えていく。それでいいんだと思っています。