「福祉」×「アート」×「ビジネス」。社会福祉法人ではなく「株式会社」である理由

  • 株式会社ヘラルボニー 松田崇弥

松田崇弥(まつだ たかや)
株式会社ヘラルボニー代表取締役Co-CEO。小山薫堂が率いる企画会社オレンジ・アンド・パートナーズ、プランナーを経て独立。4歳上の兄・翔太が小学校時代に記していた謎の言葉「ヘラルボニー」を社名に、双子の松田文登と共にヘラルボニーを設立。「異彩を、放て。」をミッションに掲げる福祉実験カンパニーを通じて、福祉領域のアップデートに挑む。ヘラルボニーのクリエイティブを統括。東京都在住。双子の弟。世界を変える30歳未満の30人「Forbes 30 UNDER 30 JAPAN」受賞。文登との共著に『異彩を、放て。―「ヘラルボニー」が福祉×アートで世界を変える―』(新潮社)がある。

「異彩を、 放て。」をミッションに、福祉を起点とした新たな文化を創ることを目指す株式会社ヘラルボニー。国内外の主に知的な障害のある作家とアートライセンス契約を結び、事業を展開しています。同社の原動力は、「障害のある人は欠落している、稼げない」といった偏見に対する怒りです。

ビジネスとしてのチャレンジが難しい福祉の世界で、あえて「株式会社」という営利目的の組織を選んだ理由とは。その決断の先には、地元への感謝と世界への挑戦がありました。

障害のある作家のアート作品がフェアに評価されるために

ヘラルボニーは、2018年に創業した会社です。一卵性の双子で経営をしており、兄の文登(ふみと)が岩手の盛岡本社で、私が東京の支社で働いています。ヘラルボニーという社名は、重度の知的障害を伴う自閉症のある4つ上の兄の翔太が、子どものころ自由帳に書いていた謎の言葉です。一見意味のないと思われる思いを、世の中に価値として創出したいという思いが込められています。

兄のように障害のある人でも、その特性を生かして生きていける社会をつくりたくて、会社を立ち上げました。知的障害のある作家さんがつくるアート作品のライセンスを管理して、自社ブランド「HERALBONY」の運営や空間や商品のプロデュースを主に行なっています。現在、153名の作家さんたちと2000点以上の作品のライセンス契約を結んでいます。アートと福祉とビジネスを結び付けた、ほかにはあまりない珍しい会社だと思います。

撮影協力:京王プラザホテル 画像提供:PR TIMES

私たちは、作品がフェアな状態で世の中に出てくることを大切にしたいと考えています。例えば、健常者が自分のつくった作品を売ろうと思えば、SNSで拡散したり自分で営業に行ったりすることができます。けれども、知的障害のある作家さんは自分で売り込むことは難しい。そのため、なかなか世に出てこないし、出てきたとしても「障害のある人達の作品」というフィルターがかかることで正当に評価されにくい現実があります。

そのフィルターを無くすため、ヘラルボニーにはキュレーターという作品の目利きをする方が在籍しており、金沢21世紀美術館でチーフキュレーターを務めていらっしゃる黒澤浩美さんにアートキュレーションの責任者をお願いしています。そうして、プロの目によってアート作品が客観的に評価される構造を作っています。

「福祉」をテーマにビジネスをするということ

ヘラルボニーは、ありがたいことにさまざまな企業とのコラボを実現してきました。例を挙げると、丸井グループとの共創の取り組みであるクレジットカードのデザイン、JALの国内線ビジネスクラスの機内食スリーブ(紙帯)や国際線ファーストクラスのアメニティに採用されています。

私たちは起業してから、「福祉実験ユニット」という言葉で自分たちの活動を表現していました。あえて「実験」と呼んでいたのは「失敗してもそれが貴重なデータとなり、将来の糧になるはずだ」という挑戦者の気概を込めてのことです。

福祉の世界には「間違ってはいけない、失敗してはいけない」という雰囲気があり、挑戦を過剰に恐れるところがあると思います。どんなに可能性があっても、「障害があるから無理だ、できないだろう」と、挑戦をさせない。間違いや失敗を経験するための土俵にすら上げてもらえないんです。

こうした風潮にはずっと違和感がありましたし、とてももったいないことだと思っていました。やってみたらできるかもしれないことでも、自分たちで高い壁を作って挑戦することを諦めてしまう。福祉の領域でも仕組みさえ作れればうまくいくことはたくさんあるだろうと、もどかしく思っていました。

撮影協力:京王プラザホテル 画像提供:PR TIMES

それもあって、起業するときにはNPO法人や社会福祉法人ではなく、株式会社であることにこだわりました。これまでの福祉ビジネスのように、省庁の助成金をいただいて緩やかに規模を拡大していく方法もあったし、それで事業を成立させる自信もありました。

けれども、それは何かあればすぐにカットされてしまう国のお金です。だったら、自分たちの足で立って、ビジネスとして成立させていくほうが、ハードルは高いけれど社会的なインパクトは大きい。そう考えて、株式会社で行こうと決めました。今は小さな会社ですが、将来的には「岩手県盛岡市発の文化企業」と言われる会社を目指しています。

ヘラルボニーが岩手にあり続けること

ヘラルボニーを続けていくうえで、守らなくてはいけないと決めていることが2つあります。それは「活動の軸足を岩手に置くこと」「事業の根幹に福祉を置くこと」です。

私たちが岩手にあり続けることについて、私たちを育ててくれた故郷だからということももちろんありますが、それ以上に、岩手の方々が私たちに向けてくださる好意や声援が支えになっているところがとても大きいんです。

東北の人は身内びいきといいますか、地元出身者をとても応援してくださるところがある。例えば大谷翔平選手はメジャーに行くずっと前から岩手が誇る大スターでした。文登も地元ではメディア出演が多くて、街を歩くとたくさんの人から声をかけていただいています。市長も県知事もヘラルボニーのネクタイをつけて、応援してくださっています。

撮影協力:京王プラザホテル 画像提供:PR TIMES

岩手県議会では、ある議員さんが「工事現場の仮囲いにヘラルボニーのアートを使ったら、工事成績評定を加点しよう」と提案をしてくださり、決定されました。工事成績評定というのは、公共工事における施工状況や出来栄えを評価するもので、得点が高いと次の入札工事が有利になります。施工の完成度で差がつかなくても、仮囲いにヘラルボニーのアートを使うだけで成績がアップするなら、ゼネコンの業者さんは数百万円払ってでも、うちの仮囲いを使いますよね。

アート作品への共感がなくてもヘラルボニーの作品を活用してもらえるとなると、ビジネスとして大きな広がりが生まれます。また、こういった法整備に絡んで先進事例が作れると、岩手県からほかの自治体に横展開していくことも考えられます。

会社全体の売り上げから考えると、岩手県内の売り上げは多くはないです。でも、ヘラルボニーが岩手を拠点とする価値は、お金ではなく人です。私たちは岩手の人たちの応援に支えられてここまで来ることができました。いつか岩手に恩返しができたら最高だなと思っています。

私たち兄弟は、そろってジャパニーズヒップホップが大好きです。ヒップホップは、もともと地元に根差したカルチャーです。よくラッパーがパフォーマンスの前に「レぺゼン栃木!」などと叫びますが、あれは「自分が地元を背負ってやってきた」と宣言しているんですよね。

KREVAというラッパーは、紅白歌合戦に出場するなどメジャーで成功した一方で、アンダーグラウンドで開催されるMCバトルでも三連覇を達成しました。自分のバックボーンを大事にしながら、マイナーでも評価され、メジャーでも成功している。

ヘラルボニーも、KREVAのようにありたいと思うんです。岩手というバックボーンを大事にしながら、そこから世界のメジャーシーンに出て行きたい。奈良に中川政七商店があるように、新潟の燕三条にSnow Peakがあるように、ヘラルボニーも岩手を代表する文化企業になりたい。「レペゼン岩手」でありたいと思います。

障害のある人の課題を広く解決する会社になる

ヘラルボニーのもう一つの信念は「事業の根幹に福祉を置くこと」です。今の福祉の制度の中では、障害のある人はどんなに素晴らしい能力があっても、自力で稼ぐことが難しい。それでいいんだろうか、と考えたのが起業のきっかけでした。僕らが、根幹にある福祉への思いを忘れては、何のために起業したのかわからなくなってしまいます。

福祉の世界には、ほかにも課題がたくさんあります。例えば、障害があると既存の生命保険に入れないとか、障害のある人が自立して生活を営むためのグループホームが足りないとか、親が亡くなったらどうやって生きていくのかを支える公的な仕組みがない、とか。

私たちは、ヘラルボニーでアート事業やブランド事業を手掛けていますが、ずっとそれだけがやりたいわけではありません。今の事業を拡大し、いずれホールディングス化できたら、ほかにもさまざまな問題を解決できるような事業に挑戦したいと思っています。

撮影協力:京王プラザホテル 画像提供:PR TIMES

ただ、会社の経営を軌道に乗せて、もっと利益を生み出せるようにならなくては、資金面でも人材面でも新規事業に挑戦することができません。そのために、すべての熱量を目の前の事業に注いで、一生懸命取り組むことが今の使命だと思っています。

会社は、楽しく働けることも大事だし、利益を生み、上場することももちろん大事ですが、それはゴールではありません。社会に価値を与えられる会社になることが大事なんです。ヘラルボニーの事業が拡大すれば、社員たちがいずれ転職市場に出ていくとき、「ヘラルボニーさんにいたのなら安心ですね」と言ってもらえるようになるでしょう。それはヘラルボニーの持つ価値観を社会に広げていくことにもつながります。創業10年を迎える5年後を目標に、そういう会社にしていけたらと考えています。

ヘラルボニーを、盛岡発の世界的ブランドへ

ヘラルボニーは今年、障害のある方々を対象にした公募制のアートアワード「HERALBONY Art Prize 2024」を開催しました。現在、応募は締め切って審査の段階に入っているところですが、初回でありながら作品数1973点、作家さんも924名からご応募いただいています。そのうち約188名は、海外の作家さんで、予想以上の反響に驚いています。

「HERALBONY Art Prize」では、その後の作家生活につながるよう、協賛してくださった企業とアート作品とのコラボを企画していく予定です。そして、私たちはこの「HERALBONY Art Prize」を10年も20年も続くような国際アワードにし、いずれ本社を置く盛岡でも開催できたらと思っています。

撮影協力:京王プラザホテル 画像提供:PR TIMES

オーストリアのリンツという小さな町で毎年開催されている「アルスエレクトロニカ」というテクノロジーアートの祭典があるのをご存じでしょうか。リンツは人口30万ほどの小さな都市なのですが、そこに毎年7万人の観光客が「アルスエレクトロニカ」を見るために訪れるんです。

私も行ったことがありますが、世界中の企業が祭りに協賛していて、アカデミックな人たちもたくさん参加されています、なによりすごいのが、受賞作品はリンツの町に埋め込まれていくんですね。例えばAI機能付きの信号機のような作品を、町のいたるところで生活と結びついた形で見ることができるんです。リンツの町全体が、テクノロジーアートの実験都市のようになっていて、シティブランディングとしても秀逸なイベントになっています。

私たちは、ヘラルボニーの「HERALBONY Art Prize」を、「アルスエレクトロニカ」のように、何十年も続く、盛岡の一大イベントにしていきたい。受賞アートが町を飾り、誰でも鑑賞できるフェスのような、それでいて、盛岡の文化と調和してアートが邪魔をしないような状態をつくれないかと夢見ています。

「HERALBONY Art Prize」で作品に触れた人たちの中に、寛容な価値観が生まれ、建物やその他のハードのバリアフリー化が進み、人の心と環境から障害を取り除く。これが実現した時、ヘラルボニーは「アート×福祉×ビジネス」を掲げた企業として大成功したと言えるのではないでしょうか。

地方発のブランドが「かっこいい」と言われるように

私たちが起業したとき、地元の友達の多くは「福祉」や「アート」に興味を持っていませんでした。障害のある人がどんな課題を抱えているのかを知らないし、アート作品なんて買わない。新規事業を始めようというような人もおらず、これらのテーマをもとにビジネスをするといっても、ピンと来ていない様子でした。

でも彼らも、ブランドには憧れる。例えば、レクサスに乗っていると言えば「すごいな」と言うし、ルイ・ヴィトンの財布を欲しがるんです。

ブランドとしての価値を高める視点で、「地方発」であるということは、決してネガティブではないと思います。事業をするには地方は都会より不利かもしれませんが、ブランドとしての地方にはすごく価値がある。

世界的に見ても「地方がかっこいい」というムードになってきているのを感じます。例えばワインのナパバレーや、シャンパンのシャンパーニュは、すでにブランドとしての地位を確立していますよね。私も「東京よりもっと北にある人口一万人の町の出身だ」とパリで言うと「それはクールだ!」という反応が返ってくることが多くて驚きます。ものづくりも文化的発信も「地方発がかっこいい」という追い風が吹いているように感じます。

「HERALBONY」も、地方発のメジャーなブランドに育てたいと思います。アートや福祉をビジネスにブランドをつくることができれば、興味のなかった同級生にも「かっこいい」と思わせることができるはずです。

もちろん、そこに必要なチャレンジは、すべて岩手から始めます。岩手というヘラルボニーを許容してくれる街があるからこそ、いろんなことに挑戦できるんです。

 

撮影場所:京王プラザホテル 本館47階SKY PLAZA IBASHO

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