酒造りの本質を失わず、売り方を刷新する。コンテスト56冠の酒蔵が磨くもの

  • 渡辺酒造店 渡邉久憲

渡邉久憲(わたなべ・ひさのり)
渡辺酒造店代表取締役社長。1968年岐阜県飛騨市生まれ。県立斐太高校卒。薄井商店、賀茂泉酒造での酒造り修業を経て、1998年に家業である渡辺酒造店に入社。同社は2002年に酒類販売規制緩和のあおりを受けて年商3分の1減と経営危機に陥るも、「Sake is Entertainment」を哲学とした独自の「エンタメ化経営」で再建。売上高が30年間右肩下がりの日本酒業界において、17年間連続で増収増益、年商4倍を達成。国内で唯一、「IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)」において「グレートバリュー・チャンピオン・サケ」を2016年と2020年の計2回受賞、「世界酒造ランキング2020」で第1位を獲得するなど、これまでに国内外のコンテストで56回の受賞をしている。著書に『日本酒がワインを超える日』(クロスメディア・パブリッシング)。

「天才杜氏の入魂酒」「蔵元の隠し酒」「幻とは手に入らぬこと」。渡辺酒造店の通販サイトには、日本酒好きでなくとも飲んでみたくなる名前の商品が並んでいます。その数およそ40種類。代表銘柄「蓬莱」を始め、多くの銘柄が国内外の品評会で受賞しており、その数はなんと56冠です(2024年4月末日現在)。

しかし、飛騨の奥座敷・古川町の地域に根差した小さなこの酒蔵は、経営危機により一時は社員5人にまで落ち込んだこともありました。そこから世界に販売網を広げるに至る道のりでは、どんな打開策を講じてきたのでしょうか。

酒造りの本質は自然の働きに誠実でいること

私たちの蔵は、「コンテスト荒らし」といわれるくらい、世界中の酒の品評会で好成績をいただいています。本来は禁域であるはずの蔵にお客様をお招きしてお祭りをするし、そこにお笑い芸人さんを呼んでみんなで笑うし、とにかく派手なことをやっていると見られがちです。

けれど実のところ、酒造りというのはとても地味で根気がいる作業の繰り返しです。当たり前のことを毎日丁寧に繰り返すことが、美味しい酒を造る唯一の方法です。
大切なのは、米や米麹や酵母という微生物たちが、発酵しやすい環境をつくることです。私たちがコントロールするのではなく、発酵したいように発酵させることが大事。同じ人が同じように造っても、毎回できる酒は違います。人間にできることは少ないんです。
よい発酵を促すために必要なのは、とにかく清掃と洗いの徹底です。清潔で衛生的な環境を整え不要な微生物が入り込まないようにしなくてはなりません。微生物の世界は、私たちの価値観では計り知れないところで動いていますから、その邪魔をしないようにして、あとは自然の摂理にお任せするしかないんですね。
微生物の働きやその世界に対して誠実であるかどうかだと思います。自然の働きが生み出すものを、そのまま世の中に出す。それが結果的に美味しいお酒になるということであり、自分たちでコントロールしようとすれば、必ず味が損なわれてしまいます。

お客様が本当に求めていることを知る

渡辺酒造店は、2001年にとんでもない経営不振に陥りました。私が33歳で専務取締役として経営を任された年のことです。経営不振は、うちの蔵だけの話ではありません。その頃ちょうど酒類販売免許(以下、酒販免許)の自由化という業界の流通改革があったんです。
今は街にお酒のディスカウントストアがありますが、かつてお酒の販売は、卸会社さんや酒屋さんといった一部の流通経路に限られていました。さらに昔は、酒販店同士の距離が500m以上離れていないと新規に酒販免許が取得できない仕組みだったんです。古くからの酒屋さんは、制度に守られた中でお酒を売っていたんですね。
ところが、規制緩和で酒販免許の取得のハードルが下がり、スーパーやコンビニでもお酒が売れるようになりました。販売の間口が広がって売れるなら良いことではないか、と思われるかもしれませんが、実情は逆でした。激しい値引き競争に勝てる大きな酒造メーカーだけが生き残っていくことになり、小さな酒蔵は危機に追い込まれていったんです。

「美味しい酒を造っていれば、勝手に売れていく」と信じていた私たちは、どんどん売り上げが下がっていく事態を前に、どうしたらいいのか頭を抱えてしまいました。ですが、手をこまねいているだけでは仕方がありません。まずはお客様のリアルな声を聞こうと、地元の飛騨古川に観光にいらっしゃる方々にアプローチをはじめました。
それまでの日本酒業界では、造り手が直接お客様の声を聴くことはなかったし、ましてや、蔵元が卸や酒屋を飛び越えて顧客に直販するのはタブーとも言えることでした。けれどもそんなことを言っていられる状況ではありません。直接お客様と取引できるようになりたい、蔵に来てくださった方の顧客名簿を作れたらいいな。そんな願いも込めてチラシを作って配りました。
当時のチラシはすべて私の手書きです。街歩きマップを載せて渡辺酒造店に誘導し、お酒の試飲や蔵の見学をしていただけるよう工夫しました。飛騨古川に観光にいらっしゃる皆さんは経済的に余裕がある層で、目も舌も肥えた方が多い印象でしたので、こういう方たちなら、高くても良いものを受け入れてくれるだろうと予想してのことです。これが、うまくはまったようでした。

酒蔵の片隅にある新聞紙に巻かれた酒

試飲会でアンケートの記入をお願いすると、皆さん、日本酒の味そのものよりも、その先にある楽しさを求めていたことがわかりました。例えば、「亡き母と一緒に飛騨古川の街を旅行して、その晩、地元の旅館に泊まって飲んだ渡辺酒造さんのお酒が忘れられない」「帰省した息子と飲み交わすのが蓬莱だ」といったこと。お酒に付加する体験の質を求めていらっしゃるのだとわかったんです。
これは衝撃でした。私たちは美味しい酒を造る努力はしても、体験を味わいたいというニーズを意識したことがありませんでした。お客様の求めることを理解していなかったのだから、売れなくなるのも当然だったんです。そこで私は、日本酒を飲むという体験のすべてをエンターテインメント化したらいいのではないか、と考えはじめました。

私は、エンターテインメントとはストーリーから生まれるものだと思っています。例えば、うちの経営再建の原動力になった「蔵元の隠し酒」という商品は、1人のお客様の言葉がヒントになって生まれました。
ある時、60代後半くらいの紳士が1人でふらりと酒蔵に寄ってくださり、私が蔵の中をご案内しました。酒造りの工程を説明しながら歩いていると、その方は足を止めて何かをじっと見ているんですね。視線の先には、蔵の片隅に置かれた一升瓶が10本。秋のコンクールに出品するために取り分けて保管していたものでした。
お酒を一升瓶で貯蔵熟成するには、日光を遮断するために新聞紙で巻くといいので、そのお酒も新聞紙に巻いて置いていたんです。それをご覧になった彼が「あれを何とか売ってくれないか」とおっしゃるんです。飛騨の奥座敷・古川町で立ち寄った老舗の酒蔵の隅っこに、新聞紙に巻かれ木箱に入った酒を見つけた。誰も知らない宝を発見したような気分になったのでしょう。「これは、秘蔵酒に違いない」と興奮され、「言い値で買うから、売ってくれ」とまで言われました。
一瞬、1本1万円で売ってしまおうかとも思ったんですが、それを売ってしまうとコンテストに出品できません。事情を説明してお断りしました。
この出来事から、「人はストーリーにお金を出すんだ」とわかりました。早速、新聞紙で包装した酒瓶に「蔵元の隠し酒」という名前を付けてリリースしたところ、売れ行きもよく、今はうちの中核商品になっています。

「辛口好き」の人が好きな味は

お客様の声を直接聴くようになってわかったことが、もう一つありました。それは、お客様の求める本当の味を知ることです。
もう、25年ほど前のことです。当時は新潟のお酒が大人気で、久保田、八海山、上善如水などの、きりりとした辛口のお酒がブームになりました。しかし一般の皆さんは、そんなに日本酒に詳しいわけではありません。宴席で日本酒を飲んだことはあっても、わざわざ取り寄せるほどの人は少ないでしょう。つまり、本当の辛口、本当の甘口をよくご存じない。けれど、そうした方の頭にも、人から聞いた「美味しいお酒と言えば、端麗辛口」ということがインプットされています。

蔵でお酒を試飲していただく際に「どんな味がお好きですか?」と伺うと、判で押したように「端麗辛口」と返ってきます。でも実際に飲んで美味しいとおっしゃっているのは、実は甘口のお酒。そんなことが何度もありました。
それで、「なるほど」と思ったんです。私にも覚えがあるのでわかります。誰でも、ちょっと通ぶりたいときはありますよね。味がよくわからなくても、せっかく蔵まで日本酒を飲みに来ているのだから、お酒を知っている雰囲気で楽しみたかったのでしょう。そこに私が「今お客様が美味しいとおっしゃったのは、甘口ですよ」なんて指摘をするのは野暮というものです。
大切なのは、辛口か甘口かではなく、美味しく飲んでもらうこと。それでいいのだと思っています。私たちは、多くのお客様が美味しく感じられた、芳醇で香り高くやさしい甘口のお酒に、あえて「本物の辛口」とラベルを貼って販売しています。

いい酒は人を笑顔にする

私たちはたくさんのコンテストに出品し、これまでに56の賞を受賞してきました(2024年4月末日現在)。賞にエントリーするだけでも費用が必要ですから、そこそこの負担になります。それでも続けてきたのは、マーケティング、ブランディングのためというより、お客様にご報告した時の笑顔が嬉しいからです。
我が事のように一緒に喜んでくださるお客様を見ていると、もっと喜んでいただけるように頑張ろうという気持ちが自然と湧いてきます。
もちろん、外部の評価は社員にとっても励みになりますし、品質の競争の中に身を置いて、常に妥協しない、負けないという姿勢を持つ緊張感は大事です。しかしそれよりも、私たちはお客様が喜んでくださることが何よりうれしいんです。

そうした気持ちから、お客様を招いた蔵祭りも行っています。最初に申し上げましたが、酒造りは清潔で衛生的な環境が一番大事です。そんな蔵に、一般の皆さんを1万人も招いてしまうんですから、他の蔵の人たちからは「大丈夫か?」と呆れられることも多い。
蔵祭りを行う時は、前日にお客様を招くために1日がかりで掃除して、終わった後も、衛生的な環境を取り戻すために2日かけて掃除しています。お祭りは2日間ですから、都合5日も蔵の仕事を休んで、お客様をおもてなしするんです。

仕事を止めてでも、やる価値があるイベントだと思っています。渡辺酒造店ファンのお客様と接することで、社員のみんなは自分たちが愛されているのだと実感できますし、そうすると、自分のことも好きになれますよね。おもてなしする側の私たちが、お客様に幸せにしていただいているんです。

私たちが経営回復のためにしてきたことは、言ってみれば「業界のタブーを犯す事」だったのだと思います。本来出会うはずのなかったお客様と直接やり取りし、禁域であるはずの蔵を開放し人を招き、職人が真面目に働いてきた業界にエンターテインメントを持ち込んで、コンテスト荒らし。職人気質の酒造り業界では、私たちは常に異端でした。けれど、だからこそ多くの人に認知され、中国、韓国、台湾、香港、アメリカ、オーストラリアにまで販路を拡大できたのだと思います。
ただ、そんな中、私たちは昔から人が酒に求めていることを大事にしてきたという自負もあります。それは「いい酒は人を笑顔にする」ということ。日本酒の原点はこれだと思います。日本酒は心の底から笑顔になれるものなんですよ。

自分たちが有名になり、地域も有名になる

今、酒造りの業界でもDX化が進んでいます。うちでも以前からからネットの媒体を活用するようにシフトしてきました。メルマガ、公式LINE、Facebook、Instagram、X(旧Twitter)、お客様とつながれるものは何でも使っています。おかげで、新型コロナ禍でも困ることなく売り上げをあげていくことができました。
特によかったのは、BtoB向けのオンライン。いわゆるマーケティングオートメーションですね。自社の営業部で新商品を紹介するYouTube動画を撮って、オンライン展示会を開催したんです。このために用意した大吟醸5000本が2日で完売という売り上げを達成できました。
対面でのリアル展示会ができないならオンラインでやってみよう、とすぐに対案を出せるのは、苦境を乗り越えてきた経験があるからです。私たちは、昔うまくいったやり方に固執しません。チラシで10億円の売り上げを作ってきたのは、一つの成功事例に過ぎない。そういうものにしがみついている限り、変革はありません。過去の成功を自ら捨てて、変えていかければ成長はないと思います。

飛騨市は人口減少と高齢化が急速に進んでいます。そんな地域の酒蔵で酒造りをするには、生産体制のDX化とダイバーシティの実現が急務です。これまでの人の感覚に頼った酒造りから、数値とデジタルを重視した酒造りにシフトできれば、新卒社員が1年で酒造経験20年の職人と並ぶ技能を習得することも可能です。労働環境の改善にもつながり、酒蔵がもっと働きやすい場所になるでしょう。
もちろん、酒造りのすべてをDX化するのは不可能ですし、人の感性に頼る部分も半分は残っていくと思います。それでも、働きやすい職場となった酒蔵に、女性や外国人労働者もどんどん受け入れていきたいですね。
地域貢献という意味では、飛騨に移住してまで働いてくれる人を募ることも大事で、実際うちの社員の6割は県外からの移住者です。しかし、もっと大事なのは関係人口でしょう。渡辺酒造のファンになり、たまに飛騨の酒蔵に遊びに来る。そうして飛騨市でお金を使ってくれる。飛騨市の認知度を個人のSNSで広めてくださる。渡辺酒造が有名になれば、同時には飛騨市も有名になる。そういった役割をうちの酒蔵が担っていきたいと思っています。

 

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