モノをヒトからヒトへとつなぐ「リレーユース」。価値ある「中古品」をつないでいくために

  • 株式会社コメ兵ホールディングス 石原卓児

石原卓児(いしはら・たくじ)
株式会社コメ兵ホールディングス 代表取締役社長
1972年名古屋市生まれ。 英国暁星国際大学卒業後、大手家電量販会社を経て、1998年株式会社コメ兵に入社。 有楽町店・新宿店店長、営業企画、WEB事業、店舗開発、販売促進、マーケティング業務等に従事。2013年6月に代表取締役社長に就任。2020年10月ホールディングス体制への移行と同時に、株式会社コメ兵ホールディングス代表取締役社長執行役員も兼任。2023年4月、一般社団法人リユース業協会 会長へ就任。

名古屋の大須商店街で始まった、わずか5坪の小さな古着屋は、今や日本を代表するリユース企業にまで成長しました。どのようにして東京、そして世界へとその翼を広げたのか。リーマンショック、東日本大震災、そして新型コロナウイルスの猛威といった数々の危機を乗り越え、困難をチャンスに変えて常に成長を遂げてきた背景には、地元で磨き続けたノウハウと揺るぎない企業精神がありました。石原社長が語る「いつもお客様に新しい挑戦をさせていただいています」という言葉の裏には、従業員と共に事業を支えてくれるお客様への深い感謝と敬意が込められています。その情熱の原点と、成功への道のりを紐解きます。

電車1本で行ける距離でも客層は異なる

株式会社コメ兵ホールディングスは現在、16社のグループ会社で、ブランド・ファッション事業、車のタイヤ・ホイール事業、不動産事業という3つの事業を展開しています。当社の売上の大部分は、ブランド・ファッション事業を担う株式会社コメ兵が占めています。

海外での事業も拡大しており、2024年3月時点で「KOMEHYO」と「BRAND OFF」2つのブランドを上海、香港、台湾、タイ、シンガポール、マレーシアに展開し19店舗を運営しています。現在、海外法人の売上高のみでグループ全体の売上の約10%を占めており、さらなる規模拡大を計画しています。

私は1998年、25歳のときに当時代表取締役を務めていた父が倒れたことをきっかけに、入社を決めました。それまでヨドバシカメラで修行をしておりましたので、入社時にはコメ兵のビジネスモデルを全く知らず、社内に人脈もありませんでした。実際に従業員として働くことで身をもってコメ兵の商売を一から学ぶことができました。この経験があるからこそ、今社長としてコメ兵のビジネスモデルを従業員に熱量を持って伝えることができると感じています。

コメ兵は大須の商店街から事業を広げ、名古屋で培った商売のノウハウを持って「東京への進出」という旗を上げ、2003年、東京・有楽町に店を開きました。私が店長を務めた有楽町店は、計画の1.5倍程の売上を達成し、この成功を受けて1年半後には新宿の大手百貨店の目の前に800坪の大きな店舗を構えました。ところが、新宿の店舗は期待とは裏腹にほとんどお客様が入らなかったんです。有楽町と新宿、電車1本で行ける距離にもかかわらず、お客様の層が全く違うことに驚きました。人が行きかう大通りに面しているのに1日に数人しか来店していただけず、「中古品か」と言って店を出ていかれるお客様も多くいらっしゃいました。店舗の綺麗さや大きさ、立地の良さだけではお客様を引き付けられない、商売の難しさを痛感しました。

それでも東京撤退ということにならなかったのは、名古屋のコメ兵を長年ご愛顧してくださるお客様がいてくださったからです。名古屋店で得た利益を次のエリアへの投資に活用することができました。東京への進出は、まさに「地元のお客様に支えられ挑戦させていただいた」と思っています。お客様の大切さを深く感じる貴重な機会でした。

私は30代で有楽町店と新宿店の店長を勤めました。そのときに苦労を共にし、感謝の気持ちを分かち合い、支えてくれたチームのメンバーたちは、現在、各エリアや各事業部でリーダーとして活躍しています。

共に歩んだ仲間の支えが、後にリーマンショックや東日本大震災といった数々の事業危機を乗り越える力となり、さらに海外進出の礎にもなりました。苦い経験を経てきたからこそ、仲間を大切にし、お客様に感謝をする今の我々があると感じます。

中古品販売のイメージを変える「リレーユース」の提唱

コメ兵が今日まで成長を続けてこられたのは、長年培ってきた商売の本質を忘れず、新しい変化も取り入れる「不易流行」という精神を大切にしてきたからだと感じています。

2020年の10月、コメ兵はホールディングス体制をスタートし「リレーユースを『思想』から『文化』にする」という新たなミッションを掲げました。「リレーユース」という言葉に込められた概念は、私たちの商売の核となる「不易」の精神そのものです。

私たちの事業は「リユース」と表現されることが多いですが、「リレーユース」という言葉には、ただ商品を「買って売る」ということ以上の意味があります。ひとつの商品がヒトからヒトへと引き継がれ、有効に活用されていくという過程を大切にしているのです。

「リレーユース」という言葉は、1995年、まだ日本でリユースという言葉が一般的でなかった時代に、中古品に対するマイナスイメージを払拭したいという意図を込めて2代目社長であった私の父が創り出し、大切にしてきました。

時が経ち、今から30年程前に私たちがIPO(株式公開)を検討し始めたころ、「リユース」という言葉がトレンドになっていました。私たちは、自社の事業内容を社会により理解してもらいたい、身近に感じてもらいたいという想いから「リユースデパート」や「リサイクルデパート」という言葉を取り入れました。一方で、リユース事業を展開する企業が増える中、「リユース」と「リレーユース」の違いを改めて感じたのです。

私たちの事業は、過去に素晴らしい商品を生み出し、お客様に届けたメーカーの方々が存在することによって成り立っています。そして、それらの商品を使わなくなったお客様がコメ兵に届けてくださることで、新たなお客様へとつなげるチャンスをいただいています。私たちができることは、確かな目利きとメンテナンスの技術を磨くこと、そしてお客様に誠実であることです。ただ市場に中古品を流すのではなく、ブランド品の真贋判定することでイミテーションを流通さないという取り組みや、丁寧なメンテナンスと適切なリメイクを通じて商品に再び命を吹き込むことが私たちの使命であり、これは社会への貢献にもつながると感じています。

コメ兵で働く歴代の方々が大事に培ってきた「リレーユース」という思想を、私たちだけのものではなく、世の中の文化として広げていきたいと考えています。

創業以来の危機を救った、従業員の想い

時代の流れとともに中古品に対する抵抗感が薄れ、リユースが身近なものになり、事業が順調に成長していた矢先、新型コロナウイルスの猛威が事業の流れを止めました。これまでに経験したことのない不安の中で、私はコメ兵ホールディングスの中で売上の大半を担うブランド・ファッション事業のコメ兵の店舗を全店休業するという経営判断を下しました。その結果、業績は大幅に落ち込み、創業以来初の赤字を記録しました。この未曾有の危機を乗り越えられたのも、従業員とお客様の存在があったからです。

全店休業を決定した後、私は社内に向けて「休業期間中に解雇はしない」という約束と、休みの期間中はスキルやサービスのレベルを向上させる取り組みをしてほしいと呼びかけました。すると、従業員からたくさんの提案が上がり、その中から現場スタッフが持つお客様の要望への深い理解やコミュニケーションの技術を活かしたコンタクトセンターの対応強化やSNSを通じた接客サービスの向上、オンライン取引など、8つのプロジェクトが採用されました。これによって、営業再開のときには、ただシャッターを開けるだけでなく、サービスのレベルを上げて万全の体制でお客様を迎えることができ、結果として営業再開後2年連続で過去最高の業績を更新しました。

この成功は、特別な経営判断によるものではありませんでした。従業員一人ひとりがお客様への深い感謝の気持ちを持って提案したアイディアと、その想いを信じて推進した経営陣のリーダーシップが原動力となったのです。世界中が不安に包まれている中で、従業員が団結し、お客様に喜んでいただけるサービスと安心して働ける環境を自ら創り出したことは、本当に素晴らしい出来事でした。

「サステナブル」が特別ではない世の中に

2022年5月、株式会社コメ兵は事業ドメインを「好奇心製造業」と定義しました。これは、リユースの事業を展開する株式会社コメ兵が一丸となる必要性を感じたためです。私たちの事業は一言で言うと「中古品販売・買取業」です。自社で商品を製造するわけではありません。「製造」という言葉を使ったのは「お客様の好奇心を製造する」という意味を込めたためです。

リユース品はすべて一点もので、同じモノは存在しません。私たちは商品の価値を見極め、メンテナンスやリメイクを施すことで商品に新たな価値を加え、お客様にワクワクする「モノとの出会い」を演出したいと思っています。そして、お客様がワクワクする出会いを提供することの喜びや情熱を、店舗で直接販売を行うメンバーだけではなく、裏方で働くスタッフも含めた全従業員と分かち合いたいでのす。それができて初めて本当のワクワクがお客様に届くのだと考えています。

1人でも多くのお客様にワクワクを届けたいという想いを持って、コメ兵は3年間で買取専門店を100店舗オープンさせるという大きな目標を設定し、計画の最終年度の2024年、3月末に101店舗目を開店することができました。この目標が達成できたのは新型コロナウイルスの蔓延以降、社会全体がSDGsやサステナブル(持続可能性)を意識する流れが強まったということも影響していると感じます。

私たちは「サステナブルな企業です」と積極的にアピールすることはありません。私たちと関わる多くの人が自然に「これってサステナブルな選択だよね」と気付いていただける環境を広げていきたい。そのために、私たちがリユースを「恥ずかしいもの」ではなく「かっこいい」「賢い選択」と感じていただけるようなビジネスをやり続けて行きたいと思っています。

地元で培ったノウハウをもって世界で戦う

コメ兵は、名古屋大須の商店街の片隅にある5坪の小さな古着屋から始まり、事業を拡大して東京へ、そして今、世界に挑戦しています。ここまでの道のりで感じたことは、地元でも東京でも、場所にかかわらず商売は厳しい。1つの地域で鍛えられたノウハウは世界でも通用するということです。まずは1つの地域で認められ、そこで事業を成長させること。それができれば、より厳しい環境でも対応できるようになります。

コメ兵は、名古屋での成功がすべての基盤となっています。そして、私自身が現場で体験してきたリレーユースの精神は、譲れない大切な価値です。このビジネスモデルならば、世界中で戦えると確信しています。

私たちが大切にしている「不易流行」という言葉には、過去から培ってきた変わらぬ価値「不易」と、世の中の「流行」を捉える力が必要だという意味があります。過去の栄光にしがみついていては事業は衰退してしまいます。時代の流れによって変わる地域ごとのトレンドは現場でお客様と接する従業員にしかわかりません。どの地域であれ、どんな規模の事業であれ、事業を具体的に実行するのは“人”です。従業員を大切にし、会社のビジョンを明確に伝えることで、従業員が会社の想いに共感し、力を発揮しやすい環境を作ることが大切だと考えます。

長年にわたる営業の中で、良い時も悪い時も常にお客様が支えてくれたことへの感謝の気持ちが、私たちを常に前進さてきました。いつも、お客様に挑戦させていただいているということを念頭に置きながら、私たちの想い「リレーユース」の文化を世界に広げていきます。

編集・取材・文:渡部 恭子(クロスメディア・パブリッシング)

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