河上祐隆(かわかみ・つねたか)
株式会社おかやま工房、リエゾンプロジェクト代表
大阪府出身。高校卒業後、製パン業界に飛び込み、22歳で大阪府羽曳野市に「フレッシュベーカリー・パンクック」を夫婦で独立開業。その後、子どもの転地療養のため岡山県へ移住し、岡山市にベーカリーをオープン。2008年より、海外でベーカリーのプロデュース・コンサルティング事業を開始。2009年、個性派小規模ベーカリーの開業支援を専門とする「リエゾンプロジェクト」を設立。2024年7月現在までに、国内で380店舗以上、海外7カ国25店舗のベーカリー開業支援実績を持つ。岡山市内に直営店2店舗、米国カリフォルニア州アナハイムとLAダウンタウンに直営店2店舗を経営。
「何年もの修行が必要」「ノウハウは人に渡さない」がセオリーとされてきたパン業界の常識を崩している「リエゾンプロジェクト」。レシピから技術、オペレーション方法まで、ゼロから小さなパン屋を開業するためのプロのノウハウを5日間の研修に詰め込み、国内外で400店舗以上の開業を支援してきました。仕掛け人は、岡山県でパン屋を営む「おかやま工房」代表の河上祐隆氏。直営店を4店舗経営し、1日の来店客は1店舗で1000人を超えます。何年もの修行を経て独立したという河上氏が「5日でできる」と言い切る型破りなメソッドはどのようにして誕生したのか。その歩みと、着想の原点を語っていただきました。
恩師から学んだ「科学する」パンづくり
18歳の頃、洋服屋をしていた親父の商売が失敗し、わが家は破産しました。バブル経済で国内景気は右肩上がり。この上ない好況のなかで起きた青天の霹靂です。親父は蒸発し、一家は住む家を失い、私は高校卒業とともに働かざるを得なくなりました。
日々の食事にも困っていて「働くなら賄いが出る飲食業界にしよう」と漠然と考えていました。何か仕事はないかと探していたある日、駅前のゴミ箱に捨てられていた新聞を拾いました。これがパン業界との運命の出会いになりました。
求人欄には飲食業の募集がないのでがっかりして捨てようとしたとき、目に飛び込んできたのが「製パン」の文字です。ラーメン屋や寿司屋などの飲食店を探していましたが「食品を扱っているならパン屋でもいいか」と軽い気持ちで決めました。その会社に電話するとすぐに入社でき、それから3社を渡り歩きました。
3社目では恩師のもとで3年間修行しました。師匠はもともとパン職人ではなく、長年、酵母菌の研究をされてきた方で、その製パン法は非常に理論的なものでした。とはいえ細かく教わったわけではありません。むしろ非常に寡黙な人で「おはようございます」「お疲れ様でした」といった挨拶以外のコミュニケーションを取らない人だったため、口で説明されたことはなく「見て盗む」ことが私の修行でした。
そうして見習っているうちにだんだんと一つひとつの工程が理論的に組まれていることがわかってきました。パン生地を混ぜるミキシング時間、生地の温度や水分量、工房内の温湿度。大半の職人は指先の感覚でパンをつくっていきますが、師匠は一つひとつ時計や温度計で正確に測ります。生地のこね方、分割するタイミング、師匠の一挙手一投足をつぶさに見ていくと、一定の規則性と意味を持っていることがわかってきます。言ってみれば、私の師匠のつくり方は感覚に頼るのではなく、“パンを科学する”ような手法でした。いま私がパンづくりを理論的にマニュアル化できているのは、この師匠のもとで学んだからです。
独立して間もない師匠の店に引き抜かれて働いていた私は、技術を盗みながら、師匠とともに必死でお店をまわし、1日あたり10万円の売り上げを30万円まで伸ばすことができました。私が20歳になると2号店の立ち上げと運営を任され、21歳になると3号店を任せていただき、いずれも成功させ業績を軌道に乗せていきました。いま思えば、独立に向けた経営修行のつもりで新店舗を任せてくれたのかもしれません。
当時のバブル景気も後押しして、頑張れば頑張った分だけ、給料はどんどん上がりました。21歳の時点で月給にして40万円ほどもらっていたと記憶しています。当時の大卒の初任給の4倍以上です。それでもまだ稼ぎたいと思い、「もっと稼ぐにはどう働けばいいでしょうか」と師匠に尋ねたところ「自分のお店を開きなさい」と独立を勧められました。
機械代や内装代など、諸々の費用で約1400万円の借金をしましたが、オープン初年度で完済でき、2年目にはさらに約1000万円の利益が生まれました。創業から3年目でより好立地に移ると、売り上げは創業当時の4倍にまで伸びました。
独立当時は「22歳の若造に何ができるんだ」と、親や親族など周囲から大反対を受けました。私自身も経営に自信があったわけではありません。しかし、事実としてパン屋で成功した恩師の存在が私に自信をくれました。「お前なら成功する」。寡黙で頑固な師匠がくれたこの一言のおかげで、いまの私があります。
「4坪でパン屋を開きたい」
未経験者でも5日でパン屋を開業できるようになる「リエゾンプロジェクト」を始めたのは、ある経営者からのオファーがきっかけです。
20年ほど前、交流のある福島県のイタリアンレストランオーナーが、当時、1日に500人(現在は1000人)以上のお客様が来店するパン屋の集客に驚かれ、「うちでもパン屋を開きたいので開業支援してもらえないか」と連絡がありました。
小さなパン屋とはいえ、仮に私が命がけで修行しても2年はかかる。内心「社長、そんなに簡単じゃないんですよ」と思っていました。
社長の要望はこうでした。近くに独立したパン屋をつくることで、いまあるイタリアンレストランで焼きたてパンを提供できるようにし、かつ集客に相乗効果を生みたい。そこで、すぐそばにある自社のジェラートショップで、持て余している4坪ほどのスペースを使って小さなパン工房をつくり、店内で販売したいと。
話を聞いたときは「え、4坪ですか」と、正直、驚き戸惑いました。たった4坪のスペースでは、パンを焼く機械だけでも入るものではないし、他にもいくつかの機械がいる。当然、人が動くスペースも必要です。しかしそのオーナーにはお世話になっていたし、以前ナポリピッツァの店を開業するためにいろいろと教わった手前、恩もあります。
そこで小さな機械を求め、さまざまなメーカーに問い合わせました。生地を練るミキサーやオーブンなどいくつも調べてやっと見つかったのは、家庭用レンジに毛が生えたような機械。当時の私から見ればおもちゃのようでした。「こんなオーブンで美味しいパンが焼けるだろうか」と不安でしたが、テストキッチンを借りて実際に焼いてみると、見事に美味しいパンが焼き上がったのです。
私はすぐ社長に電話し「できましたよ!」と報告しました。本当に驚きましたが、うちの直営店のパンと何の遜色もないでき上がりでした。機械が小さくても、同時に焼ける数が減るだけで品質には何の問題もなかったのです。
スタッフは未経験者のみ
パンの品質は機械の規模に関係ないことがわかりました。次の問題は、焼く人の知識と技術です。機械はすぐに見つかっても、人は簡単に育つものではありません。私自身も、およそ3年にわたり命懸けで修行してやっと独立できた人間なので、「短期間でオープンするなんて、よほど超人的な人間でなければ成功しない」と考えていました。
それでも、どうにかやるしかありません。しかも私の仕事の都合もあり、先方がオープンを希望する時期までちょうど支援日程が1週間しか時間がありませんでした。たったの1週間で、基本的な知識と焼き方、オペレーションまで教えなければならない。
私はすぐに一通りのスケジュールを組みました。月曜は講義のみ。火曜は私の製パンを見て勉強していただき、水曜と木曜で実践に移り、金曜日はオペレーションの確認やプライスカードの製作なども含めたオープン準備です。
この一連の内容を無駄なく教えるにあたり、私はスタッフをまったくの未経験者だけに絞って集めてもらいました。職人経験のある方が混ざってしまうと、レベルが合わず足並みが揃わないだけでなく、どうしても慣れ親しんだ“自己流”のつくり方があるため、短期間でうちの焼き方をそのまま取り入れることが難しいからです。
集まったのは、レストランで接客をしていた社員が2名、新規のパートさんが7名の計9名。私たちは製造スタッフ1名、販売スタッフ1名と私の3名で、研修からオープンまでの1週間に臨みました。
結果は大成功でした。パンが間に合わないほどの売れ行きで、すぐに完売し、初日で15万円を売り上げました。
安心して岡山に帰った半年後、社長からまた連絡がありました。「常に10万円以上の売り上げがあり非常に好調なので、2号店を出す支援をしてほしい」と。私はまた5日間の研修を実施し、再び大成功を収めました。
20年におよぶ批判にも「葛藤はない」
初回の成功は偶然ではなく、確かな再現性があったことの証明です。このとき私は「ミニベーカリーは、こんなに短い期間で開業できてしまうのか」と、大きな気づきを得ました。
18年前のエピソードですが、当時からいまにかけて、パンの需要は右肩上がりで伸び続けているのに、パン屋は減少の一途をたどっています。職人の高齢化、後継者の不在、若手人材の不足。そんな大きな問題を抱えた業界で、ミニベーカリーの立ち上げ支援はビジネスとして成り立つかもしれない。そう考え、構想から2年かけて「リエゾンプロジェクト」というパッケージをつくりました。
リエゾンプロジェクトを立ち上げたとき、「何をやっているんだ」と多くの批判を受けました。パン業界は職人による経営がほとんどですから、自分で考案したレシピも商品も、大事な財産として他人に教えたくないもの。「ノウハウは売らない」が常識です。
嘘つき呼ばわりもされました。「“5日でパン屋を開業できる”なんて、詐欺師みたいなことを始めたな」と。先ほど申し上げたように、私自身も3年以上の修行を経てオープンしています。しかし実際に5日で開業することができた。できたことをプログラム化しただけですが、なかなか理解されません。言葉で説明しても伝わらないので、周囲の職人に「一度ぜひ見に来てください」「研修を受けてみてください」と呼びかけたこともあります。しかし誰一人として来ませんでした。
「敵を増やすな」という考え方の人もいます。レシピやマニュアルを販売するのは職人にとってご法度です。恩師にも「商売は食うか食われるかだ。お前は食う側ではなく、食われる側にまわるのか」「食われたくなければ食うしかない。商売はそれだけ厳しい弱肉強食の世界だ」と言われたことがありました。
ただ、リエゾンプロジェクトで支援するパン屋は、日本の9割以上のパン屋のような外国産小麦を使わず、国産小麦100%で無添加の生地のため、「無添加で国産の焼きたてパンを食べたい」という人々がファンになってくださる。つまり、きちんと差別化しており他のパン屋と競合しないと考えています。それでもいまだに「敵を増やすな」と言われ続けています。
多くの職人は「競合」という考え方ばかりで、ともに市場をつくる「仲間」という考え方がない。国内市場を見るとパンの消費量も購入額も年々増え続けているにもかかわらず、ここ20年で約3000〜4000店舗のパン屋が廃業しており、パン屋は減る一方です。せっかくパン屋をしているのなら、お店を増やすことで市場を盛り上げたい。ミニベーカリーの開業支援をしているのはその一心です。詐欺でも掟破りでもありません。当然のことをしているだけだと思っているので、発足当時から、いまに至るまで「プロジェクトをやめるべきか」といった葛藤はまったくありません。
世界中に、安心できるおいしいパン屋をつくる
開業支援をしているとよくわかりますが、パン屋をしたいという人はごまんといます。日本だけではなく世界の各地にパン屋の開業を志す人々がおり、これまでアジアや中国、アメリカなど、海外で25店舗の開業支援をしてきました。「パン屋を始めたいけど、どうしたらいいかわからない」、そんな人々の夢を叶えるお手伝いがしたい。それも長い修行をしなければならないよりも、短期間で叶えられるならそれに越したことはないじゃないですか。
そんな需要に応えるため、今後はゼロからの開業支援だけでなく、すでに経営している既存のパン屋に対するコンサルティングの仕事をしていきたいと考えています。いわば「ベーカリーコンサルティング」です。そういう人は世界を見てもほとんどいません。
人手不足は国内だけの問題ではありません。長年の修行に耐えきれず次々に人がやめていくので、職人が育たず、つくり手がいなくて困っているという声はよく聞きます。そうした労働力不足の課題を“職人レス”で解決できるなら、ぜひノウハウを教えてほしい。こうした多くの声を聞いていると、ベーカリーコンサルティングはこれからますます求められると思えてなりません。
「リエゾン(liaison)」はフランス語で「つながり」を意味します。このプロジェクトを通して、人と人との縁がつながり、パン屋の新しい可能性が開けるかもしれません。パンは日常食料品です。その意味でも、「安全」と「おいしさ」を保証した安心できるパン屋を世界中に増やしたい。世界のどこに行っても、安心できるおいしいパン屋が必ずある。そんな世の中をつくることができたら、また次のパン屋の未来が見えてくる気がします。
編集・取材・文:金藤 良秀(クロスメディア・パブリッシング)