谷川富隆(たにがわ・とみたか)
五島の椿株式会社代表取締役社長。長崎県五島市出身。福岡大学法学部卒業。大学卒業後、長崎県商工会連合会に入社。中小企業者の支援の業務に携わる。平成29年、異動にて故郷の五島配属。令和元年、五島の椿を活用し新しい商品を研究開発する「椿研究会」を契機に企業化した、五島の椿株式会社の代表取締役に就任。
長崎県五島列島に約1,000万本も生える椿の木。島の住人にとってはどこにでもある植物で、これまでは種を搾って得られる「椿油」として古くから活用されてきました。そんな中、少子化・過疎化が進む島を活性化させようと「椿研究会」が発足され、椿の新しい可能性を模索し始めました。この椿研究会を契機に椿を産業化しようとする企業が誕生し、それまで知られていなかった椿の有効成分で作る「五島の椿シリーズ」をヒットさせます。
その答えは、最初から見えていたわけではありません。ゴールが見えない中、彼らはなぜ挑戦を続けたのか。また、商品が世の中に受け入れられてもなお、大量生産や低価格販売を行わないのはなぜか。そこには、「島のため」という想いがありました。
「五島の椿シリーズ」ができるまで
五島の椿株式会社は、2018年11月に設立された会社です。ご存じのように、化粧品業界は競争が厳しくレッドオーシャンと呼ばれています。私たちのような後発の小さな会社が化粧品業界でシェアを獲得するのは難しいところですが、ありがたいことに「五島の椿シリーズ」は現在好評をいただいています。
「五島の椿シリーズ」の開発には、島内外を含め、多くの人々の支援と協力が背景にあります。島が少子化・過疎化の波にのまれて活力が損なわれつつあり、地方活性のためには、新たな産業創出が求められていました。そこで目を付けたのが、島のいたるところに生えている藪椿です。藪椿は日本の固有種で、強い潮風にさらされる過酷な五島の環境を生き抜いてきた生命力にあふれた強い植物です。
この島の宝である椿を活用した産業の可能性を模索するために「椿研究会」は発足されました。島を元気にしたいなら、新たな産業を作る必要があります。しかし、島に産業を起こすなら、島の環境でできることでなければ続きません。こうした思いから、産学官民連携で藪椿の新たな使い道を研究し始めました。
当社は、2019年に「椿研究会」から成果を引き継いで企業化した会社で、100%民間の資本で成り立っています。私は、地元の商工会の職員として椿研究会に参加していましたが、縁あって代表職を引き受けることになりました。当時は民間企業での経験がなく戸惑いもありましたが、自分の故郷である島に貢献できる機会なので、チャレンジする決意をしました。
私自身、一度島を離れた経験があるからこそ、五島は未来に引き継いでいくべき宝だと考えています。少子高齢化の波は、おそらく食い止めることはできないでしょう。けれども、人口の減少を緩やかにすることはできると思っています。何より私たちは、今この五島を預かる者として、島をより良い状態で後世に引き継いでいく責任があります。そのために今できることを取り組むべきだと考え「五島の椿株式会社」で日々経営にあたっています。
地域活性や地方創生といった事業は、一般的に国が行うものだと思われていますが、本当の意味で持続的に取り組むためには、民間ベースで取り組まなければならないと考えています。会社が収益を上げて収益をもとに地元行政に納税し、さらに、雇用を生んで島民の皆様の生活を支える一助になる。一つの会社を起こし、軌道に乗せることは立派な地域貢献だと思っています。
最初から答えが分かっていたわけではない
五島に自生する藪椿は1,000万本以上と言われ、椿油は五島の特産品としてお土産としても売られています。「椿」と聞くと伊豆大島を想像する方も多いと思いますが、生産量はさほど変わりません。
もちろん、五島には椿油の商売に関わる人もたくさんいますから、新たに始める産業が島の民業を圧迫するものであってはいけません。みんなで共存共栄できるものでなくては、島のためとは言えないでしょう。
そこで研究会では、椿について椿油以外の活用方法がないか研究を始めました。最初から具体的な活用方法を考えられていたわけではありません。しかし、これだけ厳しい環境で自生している椿なのだから、何かしら価値ある成分が見つかるはずだと信じて研究を続けました。
島の住民たちは、花の季節以外に身近に生えている椿を特に意識することなく暮らしています。椿は、花を愛でるか搾って椿油を取ることが主な用途で、新しい産業になるとは懐疑的だったのではないかと思います。私たちが椿農園で椿の葉や花をせっせと摘んでいる姿を見て、「何をやっているんだろう?」、「あれで商売になるんだろうか?」と皆さん不思議そうに眺めていました。
私たちは、まず椿の葉に着目しました。椿の葉の表面はワックスを塗ったようにつやつやとしていて、摘んでから1週間が経過しても艶が失われません。これは、葉の表面にあるクチクラ層が葉を水分の蒸散から守っているからです。つまり、天然の保湿剤とも言えます。このクチクラ層からクチクラ成分を抽出することに成功しました。これが「椿葉クチクラ」として、世界で初めて椿葉ロウ由来の化粧品原材料に登録されました。
「椿」の意外な活用方法
椿葉の蒸留水に、椿の花から抽出した椿酵母のエキスを配合して完成させたのが「椿の葉 保湿水」という化粧水です。天然由来でありながら美容成分がたっぷりと含まれていて、保湿効果が高くなっています。
「五島の椿シリーズ」には、ほかにも「椿酵母せっけん」と「椿酵母オイル(フェイス)」があります。これらの製品にも、今まで十分に活用されていなかった椿の花や果皮が、ふんだんに使われています。
例えば、椿酵母せっけんには椿の花から抽出した酵母のエキス、果皮粉末を配合しています。酵母のエキスには、アミノ酸が多く含まれ、お肌にハリと艶を与えてくれます。果皮粉末は、サポニンという洗浄成分を含み泡立ちを良くさせ、さらに自然のスクラブの役割もして古くなった角質を優しくからめ取ります。また、洗い上がりをしっとりさせる椿オイルなどが独自の処方で配合されているので、お客様からは、「洗い上がりが突っ張らない」と好評です。
当社のCMには、吉永小百合さんにご出演いただいています。吉永さんはもともとシンプルなスキンケアに取り組まれていて、「五島の椿シリーズ」は自然由来であることに加え、石鹸、化粧水、オイルの3ステップでお手入れができるというシンプルさも気に入ってくださいました。さらに、島の地方活性にもチャレンジしようとする当社の取り組みにも賛同いただき、応援しくださっています。日本を代表する俳優である吉永さんに気に入っていただけたことで、私たちも製品に自信を持つことができました。島の住民たちも、五島の名前が全国に広く知れ渡って大喜びです。
また、椿には「魚醤」という意外な使い道があります。五島の周りは良い漁場として有名なのですが、藻場が消えてしまう「磯焼け」という現象が発生しています。
海藻がなくなると、魚の産卵場所や稚魚が育つ場所がなくなり、漁師の方にとっては死活問題です。この問題の対策として、海藻を食べてしまう魚を駆除したり、港を囲って藻場を魚から守ったりさまざまな活動が行われています。
魚を駆除して捨ててしまうのは、フードロスの観点からもよくありません。そこで私たちは、椿の酵母でそれらの魚を発酵させ、魚醤を作っています。椿酵母の力で香りの華やかな魚醤に仕上がっています。この事業はまだ軌道に乗っているとは言い難いのですが、五島の未来のためになる産業として大事に育てています。
島の未来と会社経営のバランス
離島に限らず、少子化・過疎化に悩む地域で事業を起こしたり継承しようと考えていらっしゃる方々は、会社の運営と地域の未来との間で頭を悩ませることが多いのではないでしょうか。当社も、同様の悩みを抱えていました。
企業が顧客サービスを向上させて収益を上げるためには、「よりお求めやすい価格で、より早く、より良いものをお客様に届けること」を考えなくてはなりません。私たちもファンの方が増えていくにつれて、“もっとお客様に喜んでいただくためには、どこを改善したら良いのか”と常に考えています。
今のやり方へのこだわりを捨て、できるだけ作業を効率化してコストを削減し、低価格で販売した方が良いのかもしれません。また、離島はアクセスに不便な地域であるため、これ以上お客様へ早く商品を届けることができません。
だからといって、せっかく開発した島独自のスキンケア製品を島外の会社に製造/販売委託したのでは、五島の雇用を創出できません。原料だけ島で作って出荷することも可能ですが、椿油は一斗缶いっぱいに搾って販売しても島への経済効果は限定的なので、もっと島の経済を回せるような取り組みができないか、日々模索しています。
そう考えると、私たちは一緒に島の未来を思ってくださる方々から応援していただける企業になるべきだと考えました。当社のミッションは、五島列島という活力を失いかけている地域を豊かにすることです。島のお年寄りが一つひとつ手作業で収穫した椿を人の目で丁寧に選別し作られたスキンケア製品であること。そして、作り手の顔を出せるほど製品に自信を持っていること。こうした私たちのこだわりに価値を感じてくださるお客様と、長くお付き合いを続けていきたいと思っています。
将来的には、五島列島全体が椿で豊かになっていくストーリーを、お客様と一緒に盛り上げていければと考えています。そのためには、まじめに製品作りに向き合い続け、品質を落とさず、五島の椿のファンの方がいつか五島のファンになってくださるように発信を続けていくことが大切です。
たくさんの人にとって「働く場所」になる
私たちは少人数のメンバーからスタートした会社です。気の良いメンバーばかりです。最近は工場での製造スタッフの人数も増え、「仕事に来るのが楽しい」と日々生き生きと頑張ってもらっています。人間関係の良さだけではなく、自分の暮らしにも関わりのある化粧品の製造に携われることが興味深かったり、島に貢献できる事業に関わっていることが嬉しかったりと、皆さんさまざまなモチベーションで働いています。
生まれ育った大好きな島で、自分の希望する職種につき、楽しく働けるコミュニティがあるというのは、とても幸せなことではないでしょうか。私たちは、それを実現したいと考えています。
家族や友達がいても、慣れ親しんだ美しい山や海があっても、人はそれだけでは暮らしていけません。自分らしく生き生きと働ける仕事がなければ、どれだけ島に帰りたい、島を離れたくないと思っても島を出て行かざるを得ません。私たちは、椿を通じた産業で雇用を生むことで地域に貢献して参ります。
まだまだ全国のお客様に製品を届けるための課題は山積みです。現在自社のECサイトで製品を販売していますが、せっかく導入したECシステムを最大限活用するには、顧客のニーズを把握して商品開発を行ったり、売れやすい時期を分析して生産管理につなげたりと、専門知識を持つ人材が必要です。
そうした課題をクリアしながら、より多くの島の住民たちの働く場所になれる企業にしていきたい。農業もできるし、ECやマーケティングもできる。営業もデザインもプロダクト開発もできる。そういった選択肢を地域で広げていきたいと考えています。