世界を飛び回るグローバルキャリアを持ちながら、コロナ禍をきっかけに鹿児島に戻り、地元の中小企業を自ら買って経営者になった男がいる。Apple、DELL、UNIQLOでマーケティングをリードし、シンガポールを拠点にアジア全域のイーコマース事業を動かしてきた菊永満氏だ。
現在は鹿児島を拠点に株式会社アンクスを率いながら、複数の地方企業をグループに迎え入れ、独自のコングロマリット経営を展開中。その経営スタイルを一言で表すなら「仕事も遊びも全力投球」。花火大会を主催し、社内バーをつくり、マツケンサンバのど派手な衣装で社員の前に立つ。そんな破天荒な経営者が語る「楽しくて結果が出る会社のつくり方」と、地方での豊かな生き方に迫る。
【スピーカー】
菊永 満(きくなが・みつる)
株式会社アンクス 代表取締役社長。1974年、鹿児島県屋久島生まれ。大学時代に創業直後のオプトに入社後、DELL、Apple、UNIQLO、エアアジアと名だたるグローバル企業でキャリアを積む。Appleでは2006年よりシンガポールに拠点を置き、アジア太平洋地域全体のイーコマース事業をリード。その後、フィリピン・マレーシア・シンガポールで複数の会社を同時並行で経営するなど、1ヶ月ごとに異なる国を拠点とするノマド経営スタイルを実践。コロナ禍を機に帰国し、2021年に株式会社アンクスを買収・代表就任。以降、鹿児島県のDX推進や地域の事業承継にも取り組んでいる。
【インタビュアー】
荻原 猛(おぎわら・たけし)
株式会社ロケットスター 代表取締役社長 CEO。中央大学大学院戦略経営研究科修了。2009年にソウルドアウト株式会社を設立し、東証一部上場を経て2022年に博報堂DYホールディングスへ売却。2023年4月に株式会社ロケットスターを設立し、中小企業の事業承継に特化したサーチファンドの運営を開始。2024年末には1号ファンド18億円の組成を完了し、2026年3月末時点で5社の事業承継を実現。(一社)栃木イノベーションベース(栃木IB)の理事も務め、LOCAL GROWTH CONSORTIUM(LGC)の発起人として地方創生にも取り組む。
コロナ禍で壊れたキャリアプラン。故郷・屋久島で経営者に
荻原:菊永さんは屋久島生まれで、DELL、Apple、UNIQLO、エアアジアと、誰もが知るグローバル企業を渡り歩いてこられたのですよね。その菊永さんが鹿児島に戻って中小企業の社長になるとは、正直まったく想像していませんでした。その経緯をお聞かせいただけますか?
菊永:僕はもともと、フィリピンで携帯販売の会社、マレーシアで人材会社、シンガポールでファンドと、アジアで複数の会社を経営し、1ヶ月ごとに違う国に住みながら働いていました。仕組み化することが得意なので、自分が前線に立ってすべてを担わなくて済むような体制を各拠点につくっていたんです。ですが、その機能がコロナ禍によってすべて止まってしまい、海外に戻れなくなりました。コロナ禍がなければ、帰国していなかったと思います。
帰国してもすぐに動いたわけではなく、まずは屋久島の実家に戻って、ずっと焚き火をしていました(笑)。そんな日々が2カ月ほど続くと飽きてきて、ふと周りを見渡すと、事業承継や人口減少など、地方には課題が大量に転がっていることに気づいて。自分にできることをしようと思い始めました。
荻原:もともと、鹿児島から出た理由はありますか?
菊永:鹿児島に根差している、同調圧力や前例踏襲の空気や、強い父権的な文化が苦手だったんです。でも焚き火をしながら、自分もいい歳になり、昔とは逆の立場にいることに気づいて(笑)。年長者になり、以前より自由に動くことができるようになった分、地方の役に立つことをすべきだと感じました。
荻原:その後、アンクスとのM&Aに至る経緯をお聞かせください。会社はどのようにして見つけられたのですか?
菊永:「事業承継をやりたい」と繰り返し周囲に伝えていると、知り合いの税理士事務所がアンクスのことを教えてくれました。僕は運が良いほうで、こういうことがよくあるんです。
ただ、海外からお金を持ち帰ることもできず、手元にほとんどお金がない状態で帰国していたので、資金は銀行に借りるほかありませんでした。通常は、伝手を頼って支店長に頭を下げに行きますよね。ただ、僕はそうはせずに、鹿児島銀行のホームページのお問い合わせフォームから「今度、会社を買収するので、お金を貸してください」という内容を送ったんです。
その真意を確認しに来た銀行員に、僕の本気度が伝わったのか、翌週には専務や会長と食事をご一緒することになりました。ここまでわずか2ターン。
これが地方ならではの距離の近さです。東京のような濃密な競争がない分、少しでも変わった動き方をすれば、周囲の目を引くことができます。規模がそれほど大きくない会社であっても、あっという間に鹿児島の銀行と対等なパートナー関係を築くことができるんです。
会社改革で勝ち取った、社員の誇りと600人の応募
荻原:買収後、自ら社長に就任されてからは社内の意識をガラリと変え、最終的には1年後になんと600人もの応募が殺到する会社へと変貌を遂げられましたよね。当初の予想外の苦戦から型破りな改革の裏側まで、その道のりを詳しくお聞かせください。
菊永:当初は社長になるつもりはなく、資本家としてやっていくつもりでした。オーナーとして意見は伝え、マネジメントは経営陣に任せていれば結果を出せると思っていたんです。しかし、四半期が終わる頃、業績は前年割れしていました。
これはコロナ禍の影響などではなく、社員の目指す仕事のレベルが、僕の求めるものに届いていなかったんです。地方で何十年も上昇志向を持たずに続いてきた会社は、社員も成長を求めなくなっています。緩やかに衰退していることに気づいてすらいません。そのことを痛感し、「人任せにしていてはダメだ」と、自ら社長に就任しました。周囲からは相当の覚悟が必要だったと思われたかもしれませんが、僕は会社を「売り物」ではなく「仲間」だと捉えているので、自分が一番頑張るのは当然だと思っていました。

社長就任後、当時社員40人の会社を「100人の会社にする」という宣言をしました。ただ、当時の社員の反応としては、誰も信じていなかったと思います(笑)。以前は求人を出しても年に1、2人しか応募がない時期もあったらしく、「うちなんかに来るわけがない」という空気が漂っていました。
荻原:それが1年後には600人もの人材が応募してきたのですよね。何が変わったのでしょうか?
菊永:社内のあらゆる環境を改革しました。まず、会社ごと移転して、モダンで明るいオフィスに改装しました。取引先も社員の友人も誰でも訪れられるよう、社内バーを設置。地方には「県庁や市役所に就職できたら勝ち」とされる風潮があります。知名度のない会社であれば、親戚や友人に誇ることができないんです。なので、まずは会社の知名度向上を目指しました。
具体的には、コロナ禍で中止されていた地域の花火大会を、アンクス主催で開催したりしました。社員と一緒に打ち上げ花火をつくることから始め、錦江湾を船でチャーターして花火鑑賞もしました。翌年には地元サッカーチームのスポンサーとなり、試合のハーフタイムにきらきらした衣装とかつらを身につけて、社員たちと「マツケンサンバ」を踊ったんです。道を歩いていると「あ、マツケンサンバの人だ」って言われるようになりました(笑)。

地元サッカーチームのハーフタイムでマツケンサンバを披露(中央黄色の衣装が菊永氏)
荻原:抵抗感を示す社員の方はいなかったのでしょうか?
菊永:最初は皆、遠巻きに見ていて、社内バーにも否定的な声はありました。でも大きなイベントを自分たちでつくっていくうちに、自分たちの家族が「お父さんの会社が、鹿児島中の人が来るようなイベントのスポンサーになってる」と、喜んでくれるようになり、会社に誇りを持てるようになったようです。ある社員が「以前は、銀行に勤めている友人に、自分の勤め先を言いだせなかった。でも今は胸を張って会社名を言える」と言ってくれたときは、涙が出るほど嬉しかったですね。
荻原: 菊永さんは「仕事も遊びも全力投球」というポリシーを、徹底して大切にされていますよね。今年の社員旅行でも、ハウステンボスの途中で社員を無人島に降ろしてイカダをつくらせるとお聞きしました(笑)。そうした規格外の「楽しさ」を追求する一方で、ビジネスとしての「成果」や数字とはどのように両立させているのでしょうか?
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社員旅行で宮崎へ。毎回一人ひとりの記憶に残るような旅行を計画
菊永: 社員旅行に関しては、しかも最後の10分だけハウステンボスのライトをジャックして、全員に僕の顔が入ったカステラを配るんですよ(笑)。社員が帰宅してから家族に話せるような思い出をつくりたいんです。
僕は楽しさと成果は両立させられると思っています。でもそのためには、皆が盛り上がっている時に斜に構えている人には、言葉は厳しいかもしれませんが、辞めてもらうことも必要だと思っています。カルチャーに合わない人が1人でもいれば、組織は腐敗してしまう。去年もクレドに賛同しないチームをまるごと入れ替えました。社員を怯えさせてしまったかもしれませんが、会社が健康でいるためには必要な取り組みです。外資系で働いてきたので、そうした考えが染み付いてるんでしょうね。
もちろん、数字も大事にしていますよ(笑)。鹿児島県庁職員の全てのパソコンの管理を当社が受注して、県のDXにも4年間取り組み続けており、公共事業だけで年間1億円以上の売上げを得ています。都会とは違い、地方では目立つことをすれば先頭集団になることができる。ですが、地方には挑戦しようとしない会社が多くあるのが現状です。
「経営者が経営していない会社」が秘めるポテンシャル
荻原:現在は複数の会社を経営されていますが、買収先を選ぶ基準や、そこから見えてくる地方企業のポテンシャルについてどうお考えですか?また、実際に地方が優秀な人材の受け皿になりつつある現状についても、あわせてお聞かせください。
菊永:買収先としては、主に「経営者が経営していない会社」を見ています。社長が「もう儲けなくていいかな」と投げやりに考えている会社は、社員が勝手にルールをつくり出して組織がバラバラになっているんですよ。でも逆に言えば、それだけ伸びしろがあるということ。経営のコントロールを取り戻して、社員に「こっちに行くぞ」という夢を共有すれば、よい方向に動き始めるんです。
そういう意味でも、地方の会社のポテンシャルは可能性に溢れていると思います。僕自身は「バカな社長でも経営できる会社」が一番いい会社だと思っていて。社長が優秀でなければ回らない会社は、実はあまり「いい会社」ではないんです。解釈を変えると、仕組みとカルチャーの基盤が整っていれば、地方企業は必ず成長できるということです。デジタルをきちんと活用して、マーケティングの発想を導入して、目標を持たせる。それだけで変われる企業が地方にはまだたくさんあります。

新入社員とのお花見
実際、今年は鹿児島出身で東大卒・ベインコンサル出身の優秀な人材が「Uターンして御社のCOOをやりたい」と応募してくれたんですよ。 東京から地元に戻って独立したいけれど、勇気が出せない。そういう人に「戻ってきてくれ」と言える会社にしたかった。鹿児島に良い会社があれば、優秀な人がUターンしてくることができます。その受け皿をつくることこそが、今の地方において一番求められていると思っています。
40代後半の真の豊かさは、「知らないことを知ること」
荻原:話題が変わりますが、菊永さんはお金に執着せず、人生を謳歌している印象があります。時間とお金についてどうお考えですか?
菊永:僕は物欲はあまりありませんが、「何をしたいか」「どう時間を使いたいか」といった時間に関することはよく考えます。「知らないことを知りたい」という気持ちも強く、まったく異なる世界で生きている人に話を聞くことが一番楽しいんです。
最近は武家茶道・遠州流のグループに加入させていただき、お茶を勉強しています。今年は出雲大社に一緒に出向く予定です。ほかには、霧島で引退したサラブレッドが暮らす場所に、1部屋限定で宿泊できるホテルを建設する計画も進めています。馬を見ながら泊まることができる、その場所だけのホテル。すでに町議会の審査は通過しています
荻原:スケールが違いますね(笑)。でも売上げにつなげることが目的ではなく、「面白いから」という理由で取り組まれているのではないでしょうか?
菊永:そうですね。ビジネスとしての面白さはもちろん、それ以上に「人生を面白くしてくれるもの」を求めています。一人でお金持ちになっても寂しいじゃないですか。僕が一番幸せを感じるのは、楽しい友人とくだらない話をしている瞬間。そういう時間を増やすために、仕事をしています。
荻原:Appleで働いていた当時30歳の菊永さんの年収は、数千万円にものぼると伺いました。そこから会社のキャリアステップを登っていくのとは違う道を選ばれたわけですが、豊かさという面では今のほうが勝っていますか?
菊永:ええ。当時とは比べ物にならないくらい豊かになりました。以前はお金があっても、自分の時間を自分でコントロールできなかった。今は月に2週間は鹿児島にいて、それ以外の日々は宮崎に行ったり、面白いと聞いたお茶の先生に会いに行ったり、美味しい店を訪ねたりして過ごしています。たくさん失敗もしますが、それこそが人生を楽しめる重要なファクターになると思っています。
実は30代の半ばで「このままカントリーGMになるんだろうな、でもそれは面白くなさそうだ」と気づいたんですよ。外資系の日本社長はアメリカ本社に言われたことをこなすだけで、会社を経営しているわけではありません。お金はたくさんもらえるかもしれないけど、それが本当に面白いとは思えなかったんです。

荻原:菊永さんは、ティム・クック氏(AppleのCEO)や柳井正氏(ユニクロの代表取締役社長)とも仕事をした経験をお持ちですよね。その経歴をまったく鼻にかけていない理由はありますか?
菊永:僕は、キャリアは運と縁が90%以上だと思っているからです。DELLに入ったタイミングもAppleで勤務していたタイミングも良かった。ただそれだけなんです。少しは自分の実力も影響しているかもしれませんが、自力だけでうまくいく仕事なんて世の中に一つもありません。有名な経営者が「あの大ヒット商品は私がつくりました」といったことを本に書くことがありますよね。あの考え方は、少し違うのかなと思います。
運と縁でもらってきたものを、自分の手柄だと勘違いせずに、人にシェアしてあげることが大事だと思っています。だから僕は自分の年収も失敗談も隠さずに話します。くだらない話が一番好きなんですよ(笑)。荻原さんとも一緒に飲むと、大抵ゲラゲラ笑っていますよね(笑)。
荻原:毎回そうです(笑)。何の話をしているかは覚えていないけれど、ゲラゲラ笑って終わりますよね。
菊永:失敗談、チャレンジしたこと、バカバカしい話。そういうことをずっと話せる仲間がいるのが、一番の財産だと思ってます。
LGCのメンバーへ。地元に戻ることの、本当の面白さ

地元高校生に向けた講演会の様子
荻原:LGCには「地元でビジネスをしたい、でも踏み出せない」という人が多くいます。菊永さんが今の場所に立ってみて感じた、地方に戻ることの本当の面白さと覚悟をお聞かせいただけますか?
菊永:正直に言うと、1人でやっていくのは本当に大変です(笑)。だからこそ、やり甲斐がある。東京だと刺激的な会社が次々に立ち上がって、若い優秀な人材が攻めてきます。一方、地方では自分たちが先頭に立って挑戦できる。誰もやっていないからこそ、やれば目立つんです。
それに、地方に「かっこいい大人」がいないと、若い世代が「自分もできるかもしれない」と思えませんよね。本当にそう思うからこそ、僕は鹿児島県の教育アドバイザーに就任しました(笑)。高校生に「俺みたいな屋久島の田舎者でも、世界を舞台に働くことができた」という話をすると、「自分にもできるかもしれない」と思ってもらえるかもしれない。「かっこいい大人」の背中を見せることが、地方を変える一番の近道だと思っています。

社内忘年会の様子
荻原:最後に、菊永さんが今いちばん楽しみにしていることを教えてください。
菊永:先ほどお話した、霧島のホテルの完成です(笑)。あとは、Uターンで来てくれるCOO候補の若者が鹿児島で活躍すること。その受け皿をつくることができれば、同じように「地元に戻りたいけど仕事がない」と思っている人がどんどん戻ってこられると思います。それが連鎖していけば、鹿児島は本当に面白い場所になると思っています。僕の熱量がなくなった時は、若者世代に会社を任せると決めているので、それまで全力で暴れます(笑)。
荻原:本日は、生き生きした話を聞かせていただき、本当にありがとうございました。
菊永さんの言葉から伝わってくるのは、地方には可能性が眠っているということです。グローバル企業での経験を、鹿児島の中小企業経営に持ち込み、社員が誇れる会社へと変えていく姿は、まさに地方企業の新しい成長モデルだと感じました。仕事も遊びも全力で楽しみながら、成果にも徹底して向き合う。その姿勢は、地元に戻りたい人、地方で挑戦したい人にとって、大きな勇気になるはずです。
クロスメディアグループ株式会社 代表取締役 小早川幸一郎

【企画・制作】
クロスメディアグループ株式会社
ビジネス書の出版を中心に、経営者や企業のブランド価値を高める編集を手がける総合コンテンツ企業。取材を通じて経営理念や魅力を言語化し、書籍、Web、映像など多様なメディアで発信。