【スピーカー】
西澤 亮一(にしざわ・りょういち)
株式会社ネオキャリア 代表取締役CEO。1978年生まれ、北海道出身。大学を卒業した年の2000年に、中途採用支援を行う「株式会社ネオキャリア」を設立し、取締役に就任する。2002年、代表取締役に就任すると、当時倒産寸前だった会社を立て直すことに成功。持ち前の上昇志向とチャレンジ精神で陣頭指揮を執り、わずか1年半の間に4,000万円の負債を完済。その後は20年以上にわたり、経営者として、新卒・中途採用支援、エンジニア採用支援、介護人材採用支援、HR Techを活用した業務支援など、多角的に事業を展開し、目覚ましい成長を続ける。現在は、従業員約3,500名・売上高500億を超える企業へと成長。採用支援・就労支援・業務支援を事業の柱に、総合人材サービス会社として人に関わる社会課題の解決と、新たな価値創出に挑戦し続けている。
【インタビューアー】
荻原猛(おぎわら・たけし)
株式会社ロケットスター代表取締役社長 CEO。中央大学大学院戦略経営研究科修了。経営修士マーケティング専攻。 大学卒業後、起業するも失敗。しかし起業中にインターネットの魅力に気付き、2000年に株式会社オプトに入社。2006年に広告部門の執行役員に就任。2009年にソウルドアウト株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。2017年7月に東証マザーズ上場、2019年3月に東証一部上場。2022年3月に博報堂DYホールディングスによるTOBにて100%子会社化。博報堂グループにて1年間のPMIを経てソウルドアウト取締役を退任。2023年4月に株式会社ロケットスターを設立し、代表取締役社長 CEOに就任。50歳で3度目の起業となる。
北海道・中標津町出身の起業家として、「雇用をつくり、地域に循環を生み出す」という使命を胸に走り続ける(株)ネオキャリアCEO 西澤亮一さん。
多角的な事業を拡大してきた経営者でありながら、その原点は“地元への恩返し”という強い思いがあります。
町長として地域の未来に向き合っていた父の姿が、西澤さんに「いつか北海道に貢献したい」という想いを抱かせたと言います。社会人になって以降、より明確になるその想いを胸に、起業家コミュニティ「EO Hokkaido」や地方創生を目的としたグループ会社「(株)ふるさと開拓ラボ」を設立されました。
現在は中標津町と包括連携を締結し、若い世代の流出や雇用不足などの課題に対して、BPOセンター開設を計画して地域に“残る仕事”を生み出す土台づくりを進めています。
西澤さんが目指す持続可能な地域モデル・具体的な取り組み・目標・想いなどについて、ローカルグロース・コンソーシアムの発起人であり、(株)ロケットスター代表取締役の荻原猛が伺います。
父から受け継いだ、北海道への恩返しという使命
荻原:西澤さんが、地元・北海道に対して「貢献したい」と思われるようになった背景を教えてください。
西澤: 私は1978年に北海道の中標津町で生まれました。祖父の商売を父親が継ぎ、焼肉店などを含め商店街で複数の店舗を経営していました。父親、母親、共に毎日忙しく働いていたのは今でも鮮明に覚えています。
商売人の息子として育ったことで、私も自然と経営者を志していた気がします。また、父は経営者だけでなく、町会議員を経て町長として地域のために尽力していました。北海道に貢献したいと考えたのは、そのような父の影響が大きいです。
父が地域の未来を見据え、さまざまな構想に取り組んでいた姿を見て、「いつか自分も地元に恩返ししたい」という思いがぼんやり生まれました。それが最初の原点で、私が社会人になって間もないころでした。
その後、父の構想がすべて形になったわけではありませんでしたが、そうした歩みを通じて、私の中に「地元をより良くしたい」という想いが、次第に育まれていきました。

幼少期の西澤氏
荻原:そうなのですね。それではお父さまのように町長として活動していくことを考えたことはあったのでしょうか?
西澤:私は、公的な立場で社会を動かしていくというよりも自分がやりたいことを通じて結果的に多くの人に喜んでもらえる形が合っていると感じています。
自分で何かをやりたいと旗を立てるより、周りから頼まれて応えていくタイプです。会社も「社長をやってほしい」と言われて引き受け、事業も気づいたら大きくなっていました。EO Hokkaidoについても依頼していただき、流れに導かれて関わるようになりました。
渋沢栄一がすごく好きで、彼のように裏方で支えたり応援したりする立場に魅力を感じています。そういう役割を、事業を通じて北海道や道東に対して果たせたらと思っています。
もちろん「日本全体をよくしたい」と考えたこともありますが、それは難易度が高く、簡単にできることではありません。
でも、北海道という単位で考えると、自分の命を燃やすことで何かできるのではと可能性を感じています。
それに、会社が大きくなる中で、高校や商工会議所などでの講演に呼んでいただくようになり、いろんな地域の課題を聞く機会も増え、「そろそろ自分が何かやらなければ」という想いがどんどん強くなっていきました。
BPO×地域創生のモデル構築へ。中標津町と連携し地域の土台づくり
荻原:「ふるさと開拓ラボ」設立や、ネオキャリアと中標津町の包括連携について、背景や現在の活動内容を教えてください。
西澤:北海道の経営者と関わる機会が増え、札幌に毎月行くようになったので、ついでに実家へ帰る回数も増ました。中標津は札幌・東京のいずれからも直行便があり、実家は中標津空港から車で5分ほどの距離です。移動全体で見ると、時間的な負担は意外と小さく、door to door で東京から埼玉へ行くような感覚です。
帰省が増える中で、町長や役場の人に会ってほしいという依頼が増えました。そして、話す機会が増えて、町の課題について詳しく聞くようになりました。
中標津町は酪農が盛んな地域で、10万人圏内の商圏とも言われています。最近は、びっくりドンキーやはま寿司が新規出店し、土日には周辺から多くの方が買い物に来るような中心地になっています。病院も町外からの利用者が多いです。そのため、経済的には豊かな町ですが、出生数が昨年100人を切り、出生数の減少や20〜30代の若年層の流出が大きな課題になっています。
そのような話を詳細に聞くにつれ、雇用をつくらなければいけないという危機感を持ちました。
当社は宮崎・福岡・沖縄・札幌・新宿などで50〜100人規模の BPOセンターを運営しているため、その知見を活かせば、地域に新たな雇用を生み出せるのではないかと考えました。地元にセンターを作れば雇用が生まれることはこれまでの経験からも分かっています。とくにコールセンターは女性比率も高いので地元に若い女性が戻る可能性が高いと考えています。
ただし、初期投資のハードルが高いため、制度を活用しながら持続可能な形を模索しました。その結果、別の仕組みを組み合わせる必要があると判断しました。
そこで町長はじめ役場の皆さんへ提案し、町議会で採択されたのが「ふるさと開拓ラボ」の設立と包括連携のスタートです。
BPOセンターをつくるには土地と建物が必要ですが、せっかくなら道東を代表する経営者を招いたり、研修ができたりするような施設にしたいと考えました。
しかし、建設までは時間がかかります。そのため、その間に活用できる制度を調べたところ、国の「地域おこし協力隊」に行き着きました。地域おこし協力隊は、隊員1人あたり年間最大約550万円を上限に、自治体が企業への委託費や活動経費等について国から財政措置を受けられる仕組みで、最終的にはその地域への移住を促すことを目的とした制度です。
そこで「ふるさと開拓ラボ」という会社をネオキャリアグループの子会社として2025年1月17日に設立しました。半官半民のように「中標津町の活性化につながる事業を行う会社」として申請する形をとり、この会社の社員を企業派遣型の地域おこし協力隊として認定してもらうことができました。
そして、2025年2月6日に中標津町役場で包括連携の調印式を行いました。

(左)西澤氏、(中央)西村穣町長、(右)ふるさと開拓ラボ・西敬弘氏
社内で声をかけたところ、移住を希望する社員から多くの手があがり、そのうち選抜された7人が2025年6月に中標津町へ移住しました。彼らは地域おこし協力隊として一定の補助を受けています。
また、「地域活性化起業人」という別の制度も活用しています。こちらは、月の滞在日数など一定の条件を満たせば年間最大約590万円まで費用補助を受けられます。
2つの仕組みを組み合わせることで、町のみなさんに貢献をしながら、BPOセンター開設に向けた準備を進められる体制ができあがりました。
荻原:地方に残る仕事をつくるためのBPO×公益性というモデルを実現するのは簡単なことではないと思います。どのような活動によって実現されているのでしょうか?
西澤:現在、まず「ジョブインサイドプロジェクト」というプロジェクトを進めており、無償で地域の企業や組織に入り込む形をとっています。具体的には、農協・商工会・民間企業などの現場に入り、社員面談・オペレーションの確認・簡易的なDXの調査・改善ポイントの抽出などを行い、無償コンサルティングとして地域の課題を整理するところから取り組んでいます。
地域おこし協力隊は補助金で活動する仕組みなので、協力隊としての業務は無償で行う必要があります。ただし、企業側から「人を採用したい」「システムを導入したい」などの具体的な依頼が生まれた場合には、有償プランとして料金をお受けすることも予定しています。
一方で、オフィス用の土地取得も進めています。
オフィスが完成すれば、中標津町をキーワードに、全国の若い世代を中心に、「地元に戻って働く」という選択肢を提示できるようになります。雇用が増えれば、人が定着し、地域の暮らしが次の世代へとつながっていくような循環も期待できます。
その次の施策として、東京から派遣するメンバーをさらに増やしたり、現地で直接雇用する人を増やしたりと、段階的に体制を広げる予定です。そのため、50〜100人が入れる規模の拠点をつくる計画です。
こうした取り組みがうまくいけばパッケージ化し、他の地域でも展開できると考えています。官と民の目的が一致し、双方が一緒に進めることが成功のポイントです。
外から地域に入り共創するには、同じ目線で行動すること
荻原:札幌拠点と中標津拠点の役割について教えてください。都市と地方をどのようにつなげていく設計をなさっているのでしょうか。
西澤:すでに札幌にも拠点が何カ所かあり、1つは既存のBPOセンターで、すでに多くの業務を受けています。今回の計画はそれとは別に、地方創生を軸とした新しいBPOセンターを中標津町につくる構想です。役割は分けつつ、札幌と中標津町を行き来しながら進めています。
中標津町と札幌の距離は、東京と大阪とほぼ同じです。昔、京都に対して江戸ができたように、札幌に対して中標津町をもう1つの軸にできたらいいなと思います。

EO Hokkaido
荻原:さらに北海道では2022年に「EO Hokkaido」を立ち上げ、初代会長を務められたご実績もございます。現在はバリューアップ理事を務めていらっしゃいますよね。
西澤:はい。
実は常々、北海道を立ち上げるべきだと周りから言われていました。周りからの後押しもあり、北海道を立ち上げなければいけないという強い想いが育まれ、「EO Hokkaido」を立ち上げることになりました。
やるからには、官民の双方に対して影響力を持つ組織にしたいと考えています。行政や経済団体、地方自治体など、さまざまな立場の方々にとって「EO Hokkaido」が関わるとプラスになると思っていただける団体にしたいです。そうした積み重ねの先に、10年、20年、30年と時間をかけて、北海道を代表する経済団体の一つのような存在になれたらと考えています。
そのためには、単なる起業家団体では不十分です。そこで、二代目・三代目の経営者が強いという北海道の特長を生かし、「EO Hokkaido」では起業家の定義を「成長意欲のある経営者。創業者だけでなく二代目・三代目含む」と設定しています。
「EO Hokkaido」は目標として、起業家の力を結集し、北海道の暮らしの質をグローバルナンバーワンにすることを掲げています。理事には、北海道内の著名な起業家が多数所属し、議論を重ねています。企業成長を応援するだけではなく、その先に北海道全体を良くするという共通ゴールを明確にしたことで、コミュニティが非常に強くまとまっていると感じます。
北海道にある179の市区町村と連携しながら、地域や経済に対して影響力を持つ団体に成長させたいと思っています。
先日、「EO Hokkaido」のメンバーが新たにニセコ町長になりました。会員数は100人を超え、参加企業の経済規模は4,000億円を超えています。影響力を持つには一定の規模が必要なので、起業家が会社を大きく成長させていくことが重要だという認識は全員一致しています。

荻原:西澤さんは長く北海道から離れて生活されていましたが、今では北海道でさまざまな活動をされています。最初の頃は、北海道出身者やUターン志向の方々と、どのように出会い、巻き込み、仲間となって共創体制を築かれてきたのでしょうか。
西澤:「EO Hokkaido」を立ち上げた際には、北海道の著名な経営者や北海道出身の経営者で東京で活躍している人などの情報を各方面から集め、一人一人アプローチをしていきました。そのうえで、私が1人ずつオンラインで面談させていただきました。
創業メンバーの質がすべてだという思いがあったので、25名を妥協せず選び、お誘いしました。創業メンバーには強くこだわりました。
荻原:そもそも、地域社会に入っていくことには、心理的な障壁を感じる方も多いと思います。とくに中標津は酪農の町で、保守的な地域なので、簡単に馴染むのはむずかしいのではないでしょうか。
西澤:私の場合は父が以前、町長を務めていたこともあり、現在町で中心的な役割を担っている方々の中には、当時から顔なじみの方もいらっしゃいました。父は質素で謙虚な人だったため対立関係を生むこともなく、地域の中で信頼関係を築いていたと思います。その結果、私をはじめ、ふるさと開拓ラボのメンバーはとても好意的に町の皆さんに受け入れていただいています。これは非常に恵まれた環境だと思います。

私自身、立場に関係なく同じ目線で丁寧に接することを大切にしています。経営者や公的な立場にある人ほど、「偉くなったら負け」だと思っているんです。
地域に入っていく立場なので、なおさら経営者であることを横に置いて、構えずに自分から動くことが、信頼を得るためにはとても大事だと考えました。
町のことを一番心配しているのは町の人たちですから、その人たちと同じ目線で行動していくべきだと考えています。
他の地域に行くと、外から来た人にネガティブまたは懐疑的な目が向けられることも少なくないと思います。誰がどこで見ているか分かりませんから、従業員にも減点される行動を絶対にしないよう、飲み屋や食事の場でも気を抜かないよう伝えています。
人が戻り、人が育つ町へ。長期ビジョンで描く中標津町の未来
荻原:NAKASHIBETSU FUN FES.など地域イベント支援もされていますよね。
参照:https://kaiyoudai.jp/index.php/2025/05/19/funfes_2025/
西澤:そうですね。NAKASHIBETSU FUN FES.は、中標津町で初めて開催されたフェスです。もともと私たちの企画ではありませんでしたが、運営会社が大変そうで困っていたため、お手伝いすることにしました。
当初はかなり厳しい状態でしたが、関係者全員で協力し、会社としてもスポンサーとして支援しました。
その結果、ふるさと開拓ラボやネオキャリアが地域でがんばっているのだと認識していただくことにつながり、さまざまな依頼もいただけるようになりました。とてもよい結果につながったと感じています。

NAKASHIBETSU FUN FES.2025
ほかにも、お祭り・盆踊り・冬祭りなど、地域のイベントづくりにも積極的に関わっています。
「EO」の他のチャプターに所属されている経営者で、地方創生を手がけていらっしゃる方に、役場とのコミュニケーションの取り方や地元の巻き込み方について助言をいただきながら、進めています。
荻原:これまでのお取り組みを踏まえて、今後さらに北海道で挑戦していきたいことはありますか?
西澤:私が今後とくに取り組みたいのは「町のBPO・RPO」です。これが実現できれば、地域に非常に大きく貢献できると思っています。地元の高校を卒業した若者がそのまま働く選択肢を持てたり、一度北海道の外に出た人たちが中標津町に戻りたいと思ってくれるような循環も生まれていくはずです。
現状、多くの若者が高校卒業後に大学や専門学校への進学を機に他府県へ出ますが、戻ってくるときに仕事が少ないのが実情です。建設や酪農などの仕事はありますが、ホワイトカラーの仕事が不足しているので、戻りたくても戻れないという人が多いと感じています。中標津町にホワイトカラーの仕事をつくることは、「人が戻れる場所」の選択肢を増やすことだと思っています。
実際、募集をかけると想像以上に応募が集まるんです。しっかり取り組めば十分に成り立つという手応えがあります。
当社から「地域おこし協力隊」として移住した7人のメンバーは、そのロールモデルでもあります。実は7人を選んだときは不安がありましたが、今のところ全員が本当に楽しそうに取り組んでいるので、よかったなと思っています。
7人は、東京や千葉、新潟、福岡など全員が北海道以外の出身者です。地方出身者として将来のキャリアとの相性を感じているメンバーもいれば、「社長の近くでプロジェクトに関わりたい」という理由の社員もいて、「子どもを地方で育てたい」という価値観を持つ人もいれば、「夫婦で田舎に暮らしたい」という意向の人もいます。動機は様々です。
それぞれ目的や意図の違うメンバーが、どのように活躍していくのかが楽しみです。

荻原:地域で新たに事業やプロジェクトを進めていくうえで、大切にされていることや心掛けていることを教えてください。
西澤:まず、町の方々に気に入っていただき、ファンになっていただくことが大切だと思います。そのために、「若いのにがんばっているな」と思っていただけるよう、とにかく泥臭く、地道に仲良くなっていくことが重要だと考えています。お金のことは考えず、とにかくまずファンになっていただくのがポイントです。そして、町の役に立つことはできる限りすべてやることです。
とにかく努力して地域のお役に立つことが重要で、それこそがいま自分たちがやるべきことだと考えています。
とくに北海道の人々は地元愛が強く、「道産子」という言葉が示すように、独自の連帯感がある地域です。北海道全域の特徴として、冬は外に出ない時期が長く、家族でこたつを囲んで話す文化があります。また、積極的に前に出るというよりも、穏やかで受け身な方が多く、人としての温かさを感じる地域です。だからこそつながりや和を大切にすることがポイントになると思います。
それから、北海道で育った人は、地元を否定するより肯定することが多く、北海道愛が強いと感じます。だからこそ、北海道への愛を私たちも行動で示していかなければなりません。
荻原:今後の北海道をどのような姿にしていきたいとお考えでしょうか。
西澤:私のビジョンは、夢物語のように聞こえるかもしれませんが、2060年までに道東に10万人都市をつくることです。道東には北見・帯広・釧路など10万人規模の都市がすでにあります。ですが、「一市四町」(根室市・中標津町・標茶町・羅臼町・別海町)は、とても広いのに人口が急減しており、課題を感じています。
ネオキャリアの経営はそれはそれで大きな目標がありますので、それを実現し、一定のタイミングで次の世代にバトンを渡し、自分はフォロー側に回るタイミングが来ると思っています。
一方、道東の町づくりは自分自身が担うべき役割だと考えています。祖父も非常に立派な方で、父が会社を継ぎ、その後町長になり、少なからず町に貢献してきました。こうして受け継がれてきたバトンを、自分なりの形でしっかりつないでいきたいです。
そのため、今度は私が町のために動く番です。子どもたちにも「これは代々引き継いでいくプロジェクトだからね」と伝えています。

荻原:10年後・20年後の未来像を描くうえで、今の世代に伝えたいことがあればぜひお聞かせください。
西澤:30代、40代、50代と歳を重ねると、コツコツ積み重ねたものが広がっていく感覚があります。単純に、やりたいことをやっているだけで、毎日おもしろさが増していく実感があります。ぜひ真剣に取り組んでいるその先に大いなる未来が広がっていると信じ、毎日を一生懸命楽しく生きてほしいです。
荻原:本日は、これまでの歩みから未来への構想まで、貴重なお話を丁寧にお聞かせいただき、ありがとうございました。